上京・ローマイヤ―に師事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 22:58 UTC 版)
「小林栄次」の記事における「上京・ローマイヤ―に師事」の解説
1920年(大正9年)に長野県から上京。単身で上京したのではなく、両親と幼い彼の弟2人と家を祖母と総領に任せて一家5人で田舎を引き払って東京へやって来た。当時、先妻の次男、彼にとっては十歳年上の義兄が、品川区の南品川に住んでいた。二十七、八歳のこの義兄は、日本橋の貿易商に勤めており、彼等一家はこの義兄を頼って上京したのであった。初め、東京の義兄を訪ねてきた時に田舎者で道がよくわからず、仕方なく一家はある人から場所を教えてもらい、その日は旅館に泊まることにした。その翌朝、昨夜旅館を教えてくれた人がわざわざ宿まで訪ねて来て、「自分は、この近所のある工場へ勤めている。工場では、いま小僧を一人求めている。自分は主人ではないが、もしお前さんがやる気があるなら、主人に話して入れるようにしてあげよう―」と言われ、栄次も彼の父もそうしてくれるよう頼んだ。そうして彼は話のあった工場へ、小僧として住み込むこととなり、1921年(大正10年)、満14歳の年にドイツ人技師、アウグスト・ローマイヤーに師事する。彼の入った工場は、そのローマイヤーという人物の経営するハムの製造工場である。これが彼の生涯の事業となった。 初めから積極的であった栄次は、住み込みの小僧の仕事が辛いとも苦しいとも全然思わなかった。第一の仕事として、機械洗いを任された。一日の仕事が終わると、毎日この機会洗いをやらされる。食品を製造する機械であるため徹底的に清潔にしなければならなかった。ローマイヤ―は朝出勤してくると、ポケットからジャックナイフを取り出して機械を削って調べる。少しでも肉片が付着していれば注意されるため、彼は徹底して機械を綺麗にしたのである。ローマイヤ―は非常に彼を信用し、可愛がった。一年ほど経つと、技師は彼にもう少し勉強しろと言われ彼を都立第一商業高等学校へ通学させてくれた。入学の際に、工場の従業員一同が彼に袴を買って贈ったが、彼は皆に愛されていたのだ。その頃、工場の従業員は十名以上になっていた。ローマイヤーはハムを漬け込む地下室には彼しか入れさせなかった。当時は冷蔵庫がないため、地下の一室に氷を並べておく。そこでドアを閉め切って、漬け込みをする。ロース肉に塩水の注射をしたり、様々な調味料の調合をしたりする。そういったすべての作業をローマイヤ―は彼だけにしか手伝わせなかった。そのため、彼の加工技術というものは、ドイツ人技師の直伝なのである。
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