一周
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 09:55 UTC 版)
ストラボンはピュテアスが「ブリテンの行ける所を全て旅行した」と述べていると記している。原文で使われている epelthein は「行く」という意味で特にその手段は限定していないし、ピュテアスが特に文章がうまかったとも思われない。また、"whole"(全て)という単語も使っておらず、perimetron(周長)40000スタディア以上と表現している。ヘロドトスの定めた1スタディオン約600フィートを適用すると4545マイルということになるが、実際ピュテアスがどういう距離を1スタディオンとしていたのかは不明である。ストラボンはピュテアスがよほど気に入らなかったようで、ここでも40000スタディアもの距離を歩けたはずがないとしてピュテアスの評判を悪くしようと言う意図が働いているように見える。 シケリアのディオドロスは『歴史叢書』で似たような値の42500スタディア(約4830マイル)を挙げており、ブリテンを囲む三角形の周囲の長さだと説明している(グレートブリテン島がだいたい三角形の形状になっていることからだと思われる)。この一致はディオドロスもティマエウスを通してピュテアスの情報を採用しているためだと思われる。大プリニウスはピュテアスの報告した周囲を4875ローマンマイルだとしている。 探検家フリチョフ・ナンセンはこれについて、ピュテアスの明らかに空想的な値はティマエウスの誤りだとしている。ナンセンによれば、ストラボン(とシケリアのディオドロス)はピュテアスの著作を読んだことがないが、ティマエウスの著作で間接的にピュテアスを知っているだけだとしている。ピュテアスは航海日数しか記録していなかった。ティマエウスはこれに1日1000スタディアという当時の帆走距離の平均値をかけて距離に換算した。ピュテアスが1日560スタディアで航海したとすると、一周は23800スタディアとなり、ナンセンの1度当たり700スタディアに相当するという説と合致する。ナンセンはさらに、ピュテアスが天文データを収集するためにしばしば停船したに違いないと指摘し、そのため1日の帆走距離が通常より少なかったのだとした。シケリアのディオドロスの示した距離からピュテアスがブリテンを一周するのにかかった日数を42.5日とした。 ナンセンの計算によれば、ブリテンの周長は23800スタディア、2375マイルとなる。これはブリテン島を三角形で囲んだときの周長に近いが、これによってピュテアスについて何かが証明されるわけではない。周長 (perimeter) を海岸線長 (coastline) と解釈することもあるが、この解釈は誤解を招く。全ての湾や入り江を考慮した海岸線長は12429km(7723マイル)である (en)。ピュテアスはこの値とディオドロスの示した値の間の任意の周長を航海したと考えられる。ポリュビオスはさらにピュテアスがブリテン島を徒歩で一周したとしているが、ポリュビオス自身もこれには懐疑的だった。ストラボンは嘘だと断じているが、周長はピュテアスがブリテン諸島を一周したことの証拠にはならない。ピュテアスの言葉がもっと発見されない限り、この問題は今後も解決されないだろう。
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