ヴィジュアル系黄金時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 08:26 UTC 版)
「ヴィジュアル系」の記事における「ヴィジュアル系黄金時代」の解説
1980年代の終わり頃から1990年代のはじめにかけて、1980年代の音楽シーンの影響を受けたバンドが現れる。音楽ジャーナリストの沢田太陽は、「(この時期に現れたバンドは)X JAPANやDEAD ENDのようなメタルの影響の強いものや、BUCK-TICKのような80sのゴス系ニュー・ウェイヴのタイプ、ハードコア・パンクからメタルに進化したGastunkに影響されたものまで雑多なものでしたが、それらはやがて外見上の傾向で括られ“ヴィジュアル系”と呼ばれるように」なったと分析している。上記のバンド以外にはMadame Edwarda やDER ZIBET、AUTO-MOD、D'ERLANGER、COLOR、かまいたち、BY-SEXUAL、AURA、ZI:KILLなどもヴィジュアル系の先駆者として挙げられる。 1990年には、ヴィジュアル系専門誌SHOXXが創刊される。1989年に結成されたLUNA SEAが1991年にエクスタシーレコードからアルバムを発表。この頃には「エクスタシー・サミット」と呼ばれるエクスタシーレコード所属のバンドが一堂に会するライブイベントが行われていた。 90年代初頭ごろから名古屋のシーンも活性化している。インディーズシーンでは黒夢がSilver-Roseと並んで「名古屋2大巨頭」とされるまでになった。 90年代初頭に結成されたバンドには、黒夢のほかにL'Arc〜en〜Ciel、La'cryma Christi、PENICILLIN、FANATIC◇CRISIS、MALICE MIZER、SIAM SHADE、Laputa、SHAZNA、cali≠gariなどがおり、これらのバンドが後にシーンを盛り上げていくことになる。 1994年に黒夢、GLAY、L'Arc〜en〜Ciel がメジャーデビューを果たす。同年、Silver-Roseが解散し、後にギターのKouichiはLaputa に、ベースのKaikiはROUAGEに、ドラムのKyoはMerry Go Roundにそれぞれ加入している。また、この年には L.S.B.と題してLUNA SEA、SOFT BALLET、BUCK-TICKが全国ツアーを敢行。各地の公演ではL'Arc〜en〜Ciel、THE YELLOW MONKEY、THE MAD CAPSULE MARKETS、DIE IN CRIESらがオープニングアクトを務めた。 ヴィジュアル四天王と呼ばれるLa'cryma Christi、SHAZNA、FANATIC◇CRISIS、MALICE MIZERも活動を始める。97年にはSHAZNA がメジャーデビューシングル「Melty Love」を累計88万枚、2ndシングル「すみれ September Love」を累計65万枚を売り上げ、1997年の日本有線大賞最優秀新人賞を受賞している。またeast west japanに移籍したPENICILLINも6thシングル「ロマンス」を累計90万枚売り上げた。ただし、トリプル・ミリオンになったアルバムやダブル・ミリオンを達成したシングルはほとんどなく、CDバブル時代にもっとも活躍したのはヴィジュアル系ではなかったとされる。一方でライヴを観に行くファンは他ジャンルよりも多かったため、市川哲史は「V系が90年代音楽シーンにもたらした最大の功績とは、(中略)ロックバンドのライヴの規模を圧倒的に拡大し」、「大道具やらサウンド・システムやら証明やらコンサートに関するあらゆるノウハウ」を発展させた点にあると述べている。 アリーナやドームクラスの会場でワンマンライヴをするバンドも現れ、PIERROTはメジャーデビューから日本武道館と西武ドームでのワンマンライブに至るまでの当時の最短記録を更新した。1996年には、インディーズバンドを紹介する音楽番組「Break Out」の放送が始まる。1999年にはDIR EN GREY、Janne Da Arcなどがメジャーデビューしている。
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