ヴィジュアル系シーンの衰退・終焉
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「ヴィジュアル系」の記事における「ヴィジュアル系シーンの衰退・終焉」の解説
NoGoDの団長は2012年12月31日時点の取材に応じ、本人の活動経験も踏まえたうえで、『「ヴィジュアル系」って、もうとっくに終わってる』、『音楽業界の中で「ネオヴィジュアル系ブーム」と言われてた頃には本当はもう終わりかけていた』との見解を示した。ヴィジュアル系シーンは、若手のインディーズ・バンドの活躍がメジャーも含めたシーン全体の活性化へと結びついていた側面があった。しかし、衰退の著しいヴィジュアル系シーンを嫌気し、新たに参入する若手は減少してしまった。結果として、ライブハウスに足を運ぶ客数は、ネオ・ヴィジュアル系の流行期であった2005年と比して3分の1にまで減少した。 「ヴィジュアル系の父」とも称される音楽評論家の市川哲史は2013年6月28日時点の取材に応じ、「ヴィジュアル系は終わった」との見解を示した。市川は、DIR EN GREYやムックの世代のバンドまでは確固たる信念に基づくヴィジュアル系としての必然性を備えていたことを認めたが、それ以降の世代のバンドに関しては単にヴィジュアル系という様式の上辺のみをなぞっていたにすぎず、彼らがヴィジュアル系であることの必然性は失われたと批評した。NoGoDの団長も、「別にヴィジュアル系じゃなくてもいい、音楽が出来ればいい」という姿勢のバンドに対し「信念が曲がった」と批判し、「最初にヴィジュアル系をはじめようと思った理由はなんなのか聞きたいです」と疑念を呈した。また、「人と同じような化粧をすることが目的になった時点で、このジャンルの精神は死んでる」と述べた。 市川も、NoGoDの団長も、紅白歌合戦の出場経験を複数回有するゴールデンボンバーというバンドのみが際立って広く世間一般に受け入れられた点に関しては、好意的に評価した。しかし、市川はゴールデンボンバーをもってしてヴィジュアル系の「最後の後継者」であると述べ、彼らを後継するバンドが今後現れる可能性はなく、ヴィジュアル系はゴールデンボンバーによって終わりを告げられたと結論づけた。ヴィジュアル系のシーン全体を見ると、ヴィジュアル系そのものが支持されたという論証には至らなかった。
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