ロマン派のサッフォー
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「カロリーネ・フォン・ギュンダーローデ」の記事における「ロマン派のサッフォー」の解説
カロリーネが24歳で「ティアーン(Tian)」という偽名によって最初の本「詩と幻想集」を出版したとき、ゲーテはこの詩人に次のように書き送った。「このような詩は、本当にめったに現れることがないものです。」2歳年上のクレメンス・ブレンターノもまた驚いた。「如何にして彼女が真摯な詩的才能を私から隠すことができたのか、私には未だ理解できません。」 ブレンターノはその後すぐに有名になった。しかし、カロリーネ・フォン・ギュンダーローデの作品は今日に至るまで彼女の生涯の影の部分に留まり続けている。一生のうちカロリーネはヨーロッパ・ロマン主義の最も美しい詩のうちのいくつかを書いたが、それは死を渇望するような「真紅の」詩であった。カロリーネの詩は陰鬱にして大胆であったが、頭に入りやすいものでもあった。19世紀にして既にカロリーネ・フォン・ギュンダーローデは「ロマン派のサッフォー」と呼ばれていた。 カロリーネの詩作は、自身の理念を実現しようと模索する当時の恋する女性が身を置いていた、表現に対しての闘争をもたらすものであるだけではなく、カロリーネの高度に緊張した生涯の終末を先取りするものでもあった。 In die heitre freie Bläue 快活で自由な青の中に In die unbegränzte Weite 制限されない広がりの中に Will ich wandeln, will ich wallen 私は静かに歩んで生きたい。 Nichts soll meine Schritte fesseln. 何も私の歩みを縛ってはならない。 Leichte Bande sind mir Ketten 軽やかなリボンは私にとって鎖であり Und die Heimat wird zum Kerker. 故郷は牢獄となる。 Darum fort und fort ins Weite それ故に、さらに、さらに広がりの中に Aus dem engen dumpfen Leben. 狭い馬鹿げた生を出でて。 修道女にして女流詩人という女性の異例な出現は、同時代人にとって既に一つの謎であった。また、カロリーネの詩はその無限定ゆえに多くの読者を怖気づかせるものであった。カロリーネの詩は、あるハイデルベルクの女子学校校長が評したように、「大胆に過ぎ、男性的に過ぎるもの」として現れたのである。カロリーネはその女性性を疑問に付されていた。女性はかのように振舞うべきである、そして女性はこのように詩作するべきである、といったような当時の考えに抵抗したためである。 「私は女性の美徳や女性の幸福に対する如何なる感覚も持ち合わせていない」とカロリーネは21歳のとき既に認めていた。「野生的なもの、偉大なもの、輝かしいもののみが私の気に入るのである。それは不幸ではあるがこれ以上改善されることはない、私の魂の中の不均衡である。私は女であって、男の力なくして男のようになりたい欲望を持っているので、この不均衡は留まるであろうしまた留まらねばならない。それ故に、私は変わり行くし、また自らと調和することがない。」
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