ロバート1世の棺の発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 22:43 UTC 版)
「ロバート1世 (スコットランド王)」の記事における「ロバート1世の棺の発見」の解説
1818年2月17日、ダンファームリン修道院の東側に聖歌隊のための敷地を作るため、新たな教区の教会を壊していた作業員が、かつての修道院の祭壇の前にある墓を開けた。墓は墓石と6フィート(182 cm)以上もある大きな石の2つの大きな石で守られていた。これらの石を移動させると、作業員はオーク製の棺の中に薄い鉛からなる二つの層によってすっぽり包まれており、金の衣類でできた経帷子に覆われ白骨化した遺体が完全な形で残っているのを発見した。また、その頭蓋骨の周囲には鉛の王冠があった。 墓穴の周囲か大理石とアラバスターの破片が見つかったが、このことはロバート1世が大理石とアラバスターの石棺をパリで購入したという記録と合致する。 ロバート1世の遺骸は棺と状態の悪い鉛の覆いから取り出されて、ジェームズ・グレゴリー (en) とエディンバラ大学解剖学部教授であるアレグザンダー・モンローによる詳しい調査を受けた。遺骨が測定されてスケッチが描かれた。それから彫刻家のウィリアム・スコーラーによって、頭蓋骨を基にして石膏像が作られた。骨の方は5フィート11インチ(180 cm)あったことから、ロバート1世の若い頃の身長は中世の身長としては著しく高い6フィート1インチ(186 cm) あったと見積もられる。この高さは、ロバート1世がエドワード1世(6フィート2インチ=188 cm)と同じくらいの身長があったことを意味している。ロバート1世の遺体は、1819年11月5日に儀式に則った形で新たな鉛で出来た棺に再埋葬されたが、その際、棺を封印する前に遺体が保存出来るよう1,500ポンドの溶かしたピッチを注いでいる。 スー・ブラックとダンディーら法人類学者は、ロバート1世の頭蓋骨を鋳造することでその顔を再現した[要出典]。
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