ロシア(キプチャク・ブルガール)方面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 23:25 UTC 版)
「タンマチ」の記事における「ロシア(キプチャク・ブルガール)方面」の解説
『世界征服者史』には「キプチャクとサクシン(ヴォルガ河沿いの都市)とブルガールに、ココテイとスブタイ・バートルを同様な軍として送った」と記されており、『元朝秘史』でもチョルマグンのイラン派遣、モンゲトゥ/オコトルらのヒンドゥスタン派遣と並んでスブタイ・バートルのルーシ派遣が語られていることから、キプチャク・ブルガール方面にもタンマチが派遣されたことが確認される。 しかしキプチャク方面に派遣されたタンマチについては史料が少なく、その構成・活動については不明な点が多い。また、司令官については『世界征服者史』『元朝秘史』ともにスブタイ・バートルであったとするが、スブタイは四狗の一人に数えられる地位の高い将軍であり、スブタイが地位の低い者がなるタンマチの司令官を務めたことは疑問視されている。 1246年3月にドニエプル川流域に至ったプラノ・カルピニは「西方の全民族が奇襲をかけ、不意打ちを食らわさぬよう、駐屯してその警戒にあたる者全ての支配者」コレンザというモンゴル帝国の指揮官と面会した。コレンザの率いる軍隊は「征服地に駐屯して未だ服属していない隣国からの侵攻に備える」という点で他のタンマチと一致しており、ルーシ方面に派遣されたタンマチの一つであったと考えられている。
※この「ロシア(キプチャク・ブルガール)方面」の解説は、「タンマチ」の解説の一部です。
「ロシア(キプチャク・ブルガール)方面」を含む「タンマチ」の記事については、「タンマチ」の概要を参照ください。
ロシア方面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 23:25 UTC 版)
前述したように資料がほとんどなく、部隊編成や駐屯地、兵数などについては全く知られていない。ただ、『世界征服者史』によってスブタイとココテイという2人の指揮官がいたことのみが確確認される。 地位名前ペルシア語表記漢字表記出身部族備考隊長? スブタイ سوبداى(Sūbdā'ī) 速別額台(sùbiéétái) ウリヤンカイ部 四駿四狗の一人スブタイと同一人物かどうかは不明 隊長? ココテイ 出自・事蹟ともに不明
※この「ロシア方面」の解説は、「タンマチ」の解説の一部です。
「ロシア方面」を含む「タンマチ」の記事については、「タンマチ」の概要を参照ください。
- ロシア方面のページへのリンク