ロシア派遣軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 07:48 UTC 版)
詳細は「イタリア・ロシア戦域軍」を参照 1941年6月22日、ドイツはソビエト連邦の支配地域に侵攻、独ソ戦が始まった。8月、イタリア空軍は「イタリア・ロシア戦域軍」(Corpo di Spedizione Italiano、またはCSIR)の一部として1,900人の要員からなる航空部隊を東部戦線に派遣した。彼らは「イタリア・ロシア方面航空隊」(Corpo Aereo Spedizione in Russia)として知られていた。これらの航空隊はまず最初にカプロニCa31、MC.200を装備し、1941年から1943年までイタリア・ロシア派遣軍の戦いを支援した。彼らはウクライナに後方拠点を置いて、最終的にはスターリングラードの戦いでの航空戦にも参加した。1942年中頃にはより性能の高いMC.202がロシアの戦いに投入された。1943年前半、スターリングラードを巡る諸戦闘が決すると、ムッソリーニは遠征軍の帰国を決定、航空隊も1943年1月に戦闘を終えてオデッサに撤収した。撤収までに88機のソ連機を撃墜し、損失は19機に留まった。 だが一部の空軍部隊は1944年から1945年まで、バルト海地域でドイツ空軍指揮下の航空団として軍務を継続した。ドイツ軍から第10航空隊「イタル」(伊語:「テラッシアーノ」)と呼ばれた彼らはバドリオ政権成立後もRSI(次項参照)空軍に参加して最後まで戦いを続けている。
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