ロシア派遣団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 16:38 UTC 版)
「エメリン・パンクハースト」の記事における「ロシア派遣団」の解説
パンクハーストは1916年にセルビアの元大臣チェドミル・ミヤトヴィッチとともに北米を訪問した。セルビアは第一次大戦初期から戦争の中心地だった。彼女たちは米国とカナダを回り、資金を集め、アメリカ政府にイギリスやカナダなどの同盟国を支援するよう働きかけた。2年後にアメリカが参戦すると、パンクハーストは再びアメリカを訪れ、過激な活動を中断していない現地のサフラジェットたちに参政権に関連する活動を控え、戦争活動を支援するよう働きかけた。彼女はまた共産主義者による反政府活動の恐れについても語った。彼女はそれをロシアの民主主義に対する重大な脅威であると考えていたのだった。 1917年6月にはロシア革命が、戦争終結を主張するボリシェヴィキを勢いづかせた。翻訳されたパンクハーストの自伝はロシアで広く読まれていたので、彼女はそれをロシア国民に圧力をかけるチャンスと捉えた。彼女はドイツの講和条約を受け入れないようロシア国民を説得しようとした。その講和によって最終的にイギリスとロシアが敗北する可能性があると考えていたためである。イギリスのロイド・ジョージ首相は、彼女のロシア訪問を支援することに同意し、彼女は6月にロシアを訪れた。彼女は「私はイギリス国民からロシア国民への祈りと共にペトログラードへ来ました。あなた方が文明と自由の面目を保つために戦争を続けることができますように」と聴衆に語った。報道機関の反応は左派と右派で二分された。前者は彼女を資本主義の走狗として描き、後者は彼女の熱心な愛国心を賞賛した。 8月、彼女はロシアのアレクサンドル・ケレンスキー首相と会談した。彼女は過去に社会主義寄りの独立労働党で活動していたが、次第に左派政治に不満を覚えるようになっていて、その態度はロシアにいる間に強まった。会談は両陣営にとって居心地の悪いものになった。彼は、彼女が当時のロシアの政策を動かしていた階級的対立を理解できていないと感じた。最後に彼は「イギリス女性がロシア女性に教えることは何もない」と彼女に語って、会談は締めくくられた。彼女は後にニューヨーク・タイムズ紙に、彼は「現代における最大の詐欺師」であり、その政府は「文明を破壊する」可能性があると語った。
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