シギスムンド時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 03:36 UTC 版)
「カール9世 (スウェーデン王)」の記事における「シギスムンド時代」の解説
1592年にヨハン3世が崩御すると、ポーランド王ジグムント3世となっていたシギスムンドはスウェーデン王位を継承した。しかしシギスムンドは、カトリックであり、また、ポーランドを主軸としていた為、叔父であるカールがスウェーデンの執政となった。しかし、スウェーデンではカトリックに改宗したシギスムンドに反感を強め、反カトリック勢力のリーダーとしてカールが祭り上げられる事になった。そしてカールはスウェーデン国王の代行として事実上のスウェーデン統治者となり、カトリック教会と絶縁を宣言するのである。シギスムンドは一旦はこれを認めたものの、両者の対立は避けられぬものとなり、1598年、シギスムンドはスウェーデンに上陸し、カールの統治権を剥奪した。 ここに至りカールは反乱軍を組織し、ストックホルム南方リンシェーピングで両者は開戦した。結果、カールはシギスムンドを破り、スウェーデンから追放してスウェーデン王位を剥奪した。翌1599年、カールはスウェーデンの摂政に任命されたが、事実上のスウェーデンの君主となった。 対外的には、1590年からのロシア・スウェーデン戦争に敗れ、1595年にリヴォニア戦争で得たエストニア以外の獲得地をロシアに返還する事となった。こうした事は、ポーランドとスウェーデンとの分裂の間隙をロシア側から突かれた結果であり、カールは後に国王となると、再びバルト地方やロシア方面への勢力の伸張を図る事となる。
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