ロシアに関する記述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/02 14:19 UTC 版)
「ジギスムント・フォン・ヘルベルシュタイン」の記事における「ロシアに関する記述」の解説
ヘルベルシュタインは若い頃に身につけていたスロヴェニア語のおかげで、スロヴェニア語と同じスラヴ語派に属するロシア語も理解でき、ロシア人たちと自由に意思疎通をすることが出来た。彼はこの能力を使い、ロシアに住む様々な人々にロシアに関する幅広い事柄について質問をしてまわった。これにより、ヘルベルシュタインは、それまでのヨーロッパ人旅行者には出来なかった、ロシア社会とロシア人の内面を探ることをやってのけたのである。 ヘルベルシュタインはおそらく1517年から1527年の間にロシアでの生活に関する最初の著作を書いたと思われるが、この著作は散逸している。1526年に彼はロシアでの経験についての公式な報告書を作成するよう求められたが、しかしこの時の報告書は公文書の山に埋まってしまい、ヘルベルシュタインが1530年代になってこれを改訂、増補し始めるまで注目されることはなかった。 ヘルベルシュタインは精力的かつ有能な民族誌学者であった。彼は現地人に質問をすると同時に、その質問の答えを、数少ないロシアに関する既存の記述と照らし合わせて批判的に検討する、という調査手法を使っているのである。ヘルベルシュタインの調査研究は、ラテン語の表題のついた著書『モスクワ事情(Rerum Moscoviticarum Commentarii)』という形で結実し、この書物は1549年に出版された。この『モスクワ事情』は、近世の西欧人がロシアについての知識を得るうえでの基本とされた書物の一つであった。 ヘルベルシュタインはヨーロッパ人にロシアに関する豊富な知識をもたらしたが、一方でまた「ツァーリ」という語のラテン文字での綴りを混乱させる原因を作ってもいる(この混乱は19世紀末になってから現れ、そして現在も不一致の状況が続く)。彼は「ツァーリ(ロシア語:Царь)」をラテン文字化するときに「tsar」ではなく「czar」と表記しているのである。この「cz」はスラヴ語派に属する全ての言語で「ツ」の音声を表す綴りにはならない。スラヴ語派の言語で「ツ」の音声を表す語をラテン文字化するときは通常、「ts」を充てるのである。英語圏とフランス語圏では19世紀のあいだに、「cz」から「ts」に綴りを変えている。
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