ロシアに残った人々
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 02:45 UTC 版)
「ドゥホボール派」の記事における「ロシアに残った人々」の解説
熱心な人々がカナダへ去ると、ロシア帝国領内のドゥホボール派社会は衰退した。アゼルバイジャンのエリザベトポリ(ギャンジャ)郡には1905年にはドゥホボール派はほとんどいなくなり、代わりにバプテスト派が住み着いた。他の地域でも多くのドゥホボール派信徒はモロカン派など他の教派に改宗した。ドゥホボール派に残っても兵役を忌避する人はごく一部に過ぎなかった。1921-23年にP・P・ヴェリギンはグルジア南部ボグダノフカ(現ニノツミンダ)の4千人のドゥホボール派をロシア・ロストフ州に、また500人をウクライナ・ザポリージャ州に再移住させた。 ソビエト連邦が成立すると、反宗教的な政府から他の教派と同様に圧迫が加えられた。しかし一方で政府の農業集団化政策は彼らの生活様式に合ったため、自らコルホーズを形成した。特にグルジア南部のドゥホボール派社会は外からの影響が少なく伝統を保つことができた。
※この「ロシアに残った人々」の解説は、「ドゥホボール派」の解説の一部です。
「ロシアに残った人々」を含む「ドゥホボール派」の記事については、「ドゥホボール派」の概要を参照ください。
- ロシアに残った人々のページへのリンク