リバティー・ヘッド・ニッケル(1883年〜1913年)
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「5セント硬貨 (アメリカ合衆国)」の記事における「リバティー・ヘッド・ニッケル(1883年〜1913年)」の解説
1883年から1912年にかけて、リバティー・ヘッド・ニッケルが公式に発行された。これはニューヨークの自由の女神像の横顔(リバティー・ヘッド)が描かれた面と、数字の5を表すギリシャ文字の「V」がもう片側にデザインされており、「V・ニッケル」とも呼ばれる硬貨である。しかし、1913年の日付で非公式なV・ニッケルが製造されていたことが分かり、その数は不明である。現在は、この違法に製造されたニッケルのうち、5枚しか確認されていない。この1913年のV・ニッケルには偽物も多く、本物であれば現存する硬貨の中でもかなりの高値が付くものの一つである。これら本物と確認されている1913年のV・ニッケル5枚は、一時期アメリカの実業家ヘティ・グリーンの息子が所有していた。2003年、以前の持ち主に因み「オルセン・スペシメン」と名付けられた硬貨が、オークションにて300万ドルで落札された。また、2005年6月2日、ニュージャージー州リンクロフトのコイン販売店、レジェンド・ニュミスマティックス社は、同じ州のメリマックに住むコイン収集家、エド・リーからもう1枚の1913年のV・ニッケルを購入した。この時の購入金額は415万ドルで、希少価値の高いアメリカ合衆国の硬貨に支払われた金額としては、当時で史上2番目の高値であった。これらの硬貨はテキサス州のコイン業者、B・マックス・メールによって著名となった。彼は1930年代、アメリカ合衆国中の新聞紙に、この貴重なニッケル硬貨の内の1枚を1枚50ドルで販売するという募集広告を掲載した人物である。実際は広告がコインカタログ販売の広告戦略であったため、誰も新聞広告に応じなかったが、貨幣学者からはこうした彼の行為が、世間のコイン収集への関心を増幅させるものであったと評している。 正式に1883年に発行されたリバティー・ヘッド・ニッケルは、裏側の「cents」という文字が欠落している。また、5セント硬貨は5ドル金貨と大きさが同じだったため、貨幣を偽造する者は硬貨に金メッキを施し、5ドルと偽って騙そうとした。伝承によれば、ジョシュ・タタムという名の聾唖者がこの詐欺を働く主要な人物であったが、なぜか有罪にならなかったとされる。彼は5セント以下の支払いにこの偽造した5ドル金貨を黙って差し出し、4ドル95セント以上のおつりを手にした。これが繰り返されたため彼は逮捕され裁判にかけられたが、彼がコインを差し出す際に「5ドルである」ということを「口にして」お釣りをだまし取ったわけではないことから、罪に問われなかったという。この伝承の他に歴史的な記録が見つかっていないことから、このタタムの話はでっちあげられたものだろうとされている。 V・ニッケルは、デンバーとサンフランシスコの各造幣局で少数が製造された1912年まで、フィラデルフィア造幣局のみで製造された。5枚の1913年版のV・ニッケルもフィラデルフィアで造られたものである。硬貨の裏側左下の縁付近には、製造された場所の頭文字である「D」や「S」のミントマークが刻まれている。
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