リエル帰還
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/18 14:12 UTC 版)
リエルへ向けて差し向けられた使者代表は、バッファロー狩りの名人で、マニトバ時代のリエルを知るサン・ローラン・メティの長、ガブリエル・デュモンが務めた。リエルは彼らの問題に対し支援を行う考えに容易に傾斜していった。このことは、自分がメティの指導者として神に選ばれた存在で新しいキリスト教を形成する預言者であるという不動の信念を持ったリエルの立場からすれば、驚くに足りないことであった。それとともにリエルはマニトバ州における自分の土地の所有権確認を求める訴えについて新たな地位を利用することを意図していた。いずれにせよリエルと使者一行は6月4日に出発し、7月5日に Batoche へ戻った。リエルが到着後、穏健で合理的なアプローチを唱える演説を行うと、メティ及びイギリス系移住者の間に一様にリエルに対する好印象が広がった。 1884年6月にはプレーンズ・クリー族の長ビッグ・ベアーとパウンドメーカーがそれぞれ族の主張を取りまとめ、リエルとの会談が開かれた。しかし、先住民達の不満の内容は移住者のそれとは全く異なるものであり、この会談では何の結論も出なかった。リエルに触発されたオナー・ジャクソンやその他地域共同体の代表者達は請願文案を起草し、7月28日にジャクソンは不満と移住者達の目的を記載した声明書を公表した。ジャクソンが事務局長を務めたイギリス系 - メティ合同委員会は数ヶ月にわたって様々な地域共同体から提案内容への理解を得るために活動を行った。その間に、リエル支持の約4分の1程はぐらつきを見せ始めた。リエルの行った宗教に関する表明が次第にローマ・カトリックの教えとはかけ離れたものとなるにつれて、聖職者達はリエルと距離を置くようになり、アレクシス・アンドレ神父はリエルに対し宗教と政治を混同してはならないと注意を促した。また、準州の副総督で先住民監督官であったエドガー・デュードニーの買収工作に呼応して、現地英字紙はリエルを批判する論調を採った。 そのような中でも運動は継続され、12月16日にリエルは州政府に対し請願書を提出するとともに連邦政府と直接交渉を行うための代表団派遣を提案した。請願書の提出はマクドナルド内閣の国務大臣であったジョゼフ=アドルフ・シャプロー(Joseph-Adolphe Chapleau)に知れるところとなったが、首相のマクドナルド自身は後に請願書を見た事実について否定している。
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