ラッサールの『公開回答書』とは? わかりやすく解説

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ラッサールの『公開回答書』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/15 04:18 UTC 版)

全ドイツ労働者協会」の記事における「ラッサールの『公開回答書』」の解説

この頃労働者の間ではフェルディナント・ラッサールの『労働者綱領』が話題になっていた。ラッサールはこの本の発行によって検察から起訴され裁判かけられていたが、全ドイツ労働者大会の準備進めライプツィヒ中央委員会2人議長ファールタイヒとオットー・ダマー(ドイツ語版)は、ラッサール裁判傍聴しラッサール演説感心した。ファールタイヒとダマー1863年2月ラッサールベルリン自宅訪問し労働運動方針について指導求めたラッサールはその返事として1863年3月1日に『公開回答書ドイツ語版)』を出版したその中でラッサール進歩党信用ならないので進歩党から独立した労働運動組織する必要がある論じた。また労働者を「賃金の鉄則」から解放するため労働者階級自らを企業家にする必要があるとした。具体的に労働者自由な同盟国家援助によって企業体生産組合」を結成させて賃金企業利得一致させることで「賃金の鉄則」から離れて労働者階級状況改善させることができると唱えた。この生産組合においては労働者毎週慣習従った賃金を受けつつ、年末には営業収益分配を受けることになる。国家定款認可業績確保のための介入を行うが、国家このような強力な干渉行わせるには、国民が自ら選んだ立法府存在、つまり普通選挙不可欠であるとする。そして普通選挙求め合法的運動を行うために労働者を「全ドイツ労働者協会」として組織する必要がある結論した。 以上を趣旨とするラッサールの『公開答弁書』は、3月17日ライプツィヒ中央委員会採択され、つづく3月24日オデオンでの全国労働者会議でも採択され、これを基にして全ドイツ労働者協会結成するための新委員会創設決議された。ラッサールライプツィヒ以外にも支持広げるべく東奔西走して演説して支持拡大していった。

※この「ラッサールの『公開回答書』」の解説は、「全ドイツ労働者協会」の解説の一部です。
「ラッサールの『公開回答書』」を含む「全ドイツ労働者協会」の記事については、「全ドイツ労働者協会」の概要を参照ください。

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