ライヴでの同期演奏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 07:59 UTC 版)
「イエロー・マジック・オーケストラ」の記事における「ライヴでの同期演奏」の解説
YMOの初期のライヴでは、実際にクリック音を聞きながら演奏していた曲は半分くらいであった。第1次-2次ワールド・ツアー時の「コズミック・サーフィン」や「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」、「ラジオ・ジャンク」、「デイ・トリッパー」、「中国女」等は、後の高橋のコメントなどから、普通のバンドのようにドラムに合わせて演奏していたと推察される。しかし、メンバーは機器トラブルでシーケンサを使用できなかった場合があることを認めている。ライヴにおいてどの曲目がシーケンサーを最初から使用しなかったのかは、グリークシアター公演の「コズミック・サーフィン」以外は明らかにされていない。 シーケンサーに1曲のデータをロードするのに1曲分の時間がかかっていた。当初シーケンサーを使う曲の次にはクリック音を使わない曲を配置し、シーケンサー未使用曲を演奏している間に次の曲のデータをロードする工夫をしていた。 第2回ワールドツアーからは、モーグ・III-CのほかE-MUのモジュラーシステムも登場し、予備機を含め3台のMC-8を導入して、シーケンサーを使用した演奏を続けて行うことができるようになった(交互交互の自動演奏では2台のMC-8で充分だが、松武は1台のMC-8を演奏中、2台のMC-8で次曲の同じデータを同時にロードし、ロードエラーに備えていた)。この当時ソニーのカセットデンスケをデータ・ストア(記憶装置)として利用していた。 初期のシーケンサー・MC-8は熱に弱く、ライヴ演奏中にデータが全て失われたりするなどのトラブルが多かった。そういうケースに遭遇した場合、曲順を変更したり、当時のギター担当であった渡辺香津美がその場でカッティング演奏を行い、メンバーもそれに合わせて演奏して臨機応変に対応していた。こういう状況であわてふためくことがないのはYMOメンバーとサポートメンバーに高度な演奏技術があったことを示している。しかしメンバーへの精神的負担は大きく、細野は年月が経ってからも「ステージに立っても演奏できない」という夢を見るほどだったという。 初の衛星中継となった1980年11月のロサンゼルスでのライヴでは、最初の「ライオット・イン・ラゴス」で松武が機材のスイッチを入れる順序を間違えたため、クリック音がMC-8の演奏と16分音符1個分ずれて送出されてしまい、高橋が後方の松武に向かって首を横に振るシーンが見られる。この時は、MC-8演奏のパートをイントロの8小節演奏後辺りでカットして、クリックのみで演奏を行っていた。シーケンス自体は止めていないので、間奏後のBパート部分で小出しに音を出していた。 散開ライヴでは坂本が曲の始まる2小節前から体をリズムに合わせ始めるシーンが見られ、クリック音に演奏を同期させる様子が分かる(この時は全てMTR)。
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