メッセネに対する側面攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:18 UTC 版)
「メッセネの戦い (第二次シケリア戦争)」の記事における「メッセネに対する側面攻撃」の解説
ヒミルコは野営地に向かってくるメッセネ軍に対して何もしなかった。この戦いの際に、メッセネが船を持っていたかは不明である。ヒミルコはメッセネ軍接近の情報を得ると、海軍の優位性を利用して側面迂回攻撃を行うことを決定した。200隻の三段櫂船に乗員と兵士を乗せメッセネに向かわせた。すなわち進軍しているメッセネ陸軍を迂回し、無防備なメッセネを直接攻撃させた。三段櫂船には漕ぎ手200名と乗員16名(艦長含む)が乗り組んでおり、陸戦隊が14-60名が同乗していた。従って、カルタゴ軍の陸戦兵力は2,400から8,000であった。漕ぎ手は専門に訓練された乗員であり、陸戦には使われなかったと思われるが、その他の乗員は陸戦に参加した可能性がある。とすれば、追加で3,000の兵力を得ることができる。通常より多くの陸戦隊を乗せていた可能性もあるが、その場合、重装備の陸戦隊が甲板上を動き回ると三段櫂船は不安定になるため、航海中は甲板上にじっとしていることが必要になる。従って、どの程度の兵を余分に乗せることができたかは不明である。この分遣隊の指揮官の名前は不明ではあるが、この後のカタナ沖の海戦の勝者でありヒミルコの親族であるマゴが指揮していた可能性が高い。 カルタゴ陸軍の一部は、ペロリス岬の海岸に整列し、200隻の三段櫂船は選抜された陸戦隊を乗せて南のメッセネに向かって出帆した。この分遣艦隊は北風に押されてすぐにメッセネに到着し、メッセネ軍が引き返してくる前に陸戦隊を上陸させた。港を制圧した後カルタゴ軍は市内に突入し、また一部は市の南側および北側にも同時に上陸して、海側からも陸側からもメッセネを攻撃した。多くのカルタゴ兵が城壁の壊れた部分から市内に侵入することができた。 カルタゴ軍の強襲によりメッセネはすぐに陥落したが、住民の一部は脱出して近郊に点在する要塞に逃げ込んだ。メッセネ陥落の情報を得たメッセネ軍兵士もこれらの要塞に入った(以前にも軍が出撃している間にザンクルが占領されたことがあった。紀元前493年にザンクル王スキテスはシケル人に対する作戦のために遠征していたが、その間にレギオンの僭主アナクシラスが無防備のザンクルを占領した。スキテスは軍と共にザンクルに戻ったが、ゲラの僭主ヒポクラテスに救援を求めた。ヒポクラテスは愚かにもスキテスを捕らえ、アナクラシスとザンクルの財宝を折半し、スキテスの兵士を奴隷とするという条約を結んだ。ヒポクラテスが撤退すると、アナクシラスは再びザンクルを占領した。)
※この「メッセネに対する側面攻撃」の解説は、「メッセネの戦い (第二次シケリア戦争)」の解説の一部です。
「メッセネに対する側面攻撃」を含む「メッセネの戦い (第二次シケリア戦争)」の記事については、「メッセネの戦い (第二次シケリア戦争)」の概要を参照ください。
- メッセネに対する側面攻撃のページへのリンク