メタファーとしてのパルナッソス山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 06:46 UTC 版)
「パルナッソス山」の記事における「メタファーとしてのパルナッソス山」の解説
文学の中で「パルナッソス」という名は通常、詩、文学、学問の発祥の地として、言及されている。例として、そのような作品を以下にいくつか挙げる。 パルナッソス劇(Parnassus Plays。ケンブリッジ大学参照) ジョン・クレア『To the Rural Muse(田舎のミューズ)』 クリストファー・モーリー『移動書店パルナッソス (Parnassus on Wheels)』 マルグリット・ド・ナヴァルのサロン『ニュー・パルナッソス (New Parnassus)』 トレイシー・シモンズ『Climbing Parnassus(パルナッソス登山)』 19世紀フランスで勢力のあった詩の雑誌『現代高踏詩集 (Le Parnasse contemporain)』からは、一貫した文学のスタイル、いわゆる高踏派(パルナシアニスム、パルナシスム)という言葉が生まれた。それはロマン主義と象徴主義の間に位置するものであった。 ジョン・ファウルズの『魔術師』では、パルナッソス山は、2組の元・恋人たちの旅の目的とされている。 ベラルーシの国民的叙事詩に『Taras on Parnassus』(作者不詳)というものがある。 エドワード・オールビーの戯曲『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』では、パルナッソスが言及されている。 ルイーザ・メイ・オルコットの『若草物語』の最終作『第四若草物語』で、エイミーとローリーの家は「パルナッソス」と呼ばれる。二人が若い苦労人の芸術家たちを援助したからである。 さらに、クラシック音楽の中にも、パルナッソス山にちなんだ作品がたくさんある。たとえば、オラーツィオ・ヴェッキの『ランフィパルナーソ』(1597年)、カルロス・ハッカルトの『パルナス山の調和』(1686年)、フランソワ・クープランのトリオ・ソナタ『パルナッス山、またはコレッリ讃』(1725年)、ヨハン・カスパール・フェルディナント・フィッシャーの『音楽のパルナッスス山』(1738年頃)、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルの『パルナス山の祭典』(1734年)、クリストフ・ヴィリバルト・グルックの『混乱したパルナス山』(1765年)、ムツィオ・クレメンティの練習曲集『グラドゥス・アド・パルナッスム』(1817年 - 1826年)、そしてクロード・ドビュッシーの組曲『子供の領分』の第1曲『グラドゥス・アド・パルナッスム博士』(1908年)。 美術においてはパウル・クレーの代表作の一つに『パルナッソス山へ』が、またラファエロによるフレスコ画『パルナッソス山』がある。 パリのモンパルナス地区はギリシャのパルナッソス山から名付けられたが、確かにたくさんの「詩人たち」がそこに住んでいる。 カリフォルニア州サンフランシスコのパルナッソス・アヴェニューにあるカリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)とUCSFメディカル・センターのメイン・キャンパスの名前もまたパルナッソスである。
※この「メタファーとしてのパルナッソス山」の解説は、「パルナッソス山」の解説の一部です。
「メタファーとしてのパルナッソス山」を含む「パルナッソス山」の記事については、「パルナッソス山」の概要を参照ください。
- メタファーとしてのパルナッソス山のページへのリンク