メタフィクション性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 07:49 UTC 版)
以上のように、『ザジ』の物語はなにひとつ確実なことがない。「実体」を示すことがなく、仮面やみせかけだけが次々と現れては消えてゆく世界である。 第8章のガブリエルのモノローグでは、「パリは一場の夢に過ぎず、ガブリエルは(すばらしい)幻、ザジは夢の(それとも悪夢の)幻、そしてこの物語はすべて夢のまた夢、幻の幻、たかだか間抜けな小説家(おっと! 失礼)がタイプで打ちまくったうわごとにすぎない。」という自己言及がなされる。『ザジ』のメタフィクション性が示された一節であり、つまり、この人工世界における唯一の真実とは、すべてが絵空事ということである。これを象徴するのが、小説の冒頭に掲げられたアリストテレスのエピグラフであり、 « ό πλάσας ήφάνισεν » とは、「詩人がこれを築き、消した」という意味である。 クノーは小説世界を構築しながら、同時にその虚構性や虚偽性を示し、世界を破綻させてしまう。しかし、歴史への言及とりわけ第二次世界大戦中のドイツ軍占領の記憶については小説の随所に現れ、小説の舞台を戦後に限定している。したがって、『地下鉄のザジ』は、作りながら壊すという自己破壊的な構えを持ちながら、同時に50年代パリの記録ともなっている。
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