メジャーリーガーとしてのキャリア
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「クレイグ・ウィルソン」の記事における「メジャーリーガーとしてのキャリア」の解説
メジャー初昇格を果たした2001年は88試合で13本塁打を記録し、その後2年間を控え選手や代打の切り札としてチームに貢献。2004年にレギュラーの座を掴み打率.264、29本塁打82打点の成績を挙げるが、追い込まれた後の外角球に弱い事から球団記録となる169三振も記録してしまう[要出典]。2002年と2004年には大リーグ最多死球数を記録。また、2001年に打った7本の代打本塁打はメジャー記録タイ。2005年に二回もの手の怪我を負い、長期的な影響が彼のプレーに及ぼされる事はないとされたもののその年の前半戦をほぼ欠場し、結果的に59試合のみに出場。 パイレーツでの選手生活中ウィルソンにはトレードの噂が絶えなかった[要出典]。2006年に同じ外野手のジェロミー・バーニッツを獲得したことから、その噂はさらに加速した[要出典]。結局その年のトレード期限ぎりぎりにショーン・チャコーンとの交換でニューヨーク・ヤンキースに入団。このトレードは他球団からパイレーツにとって不利なように思われたようで、ニューヨーク・ポスト紙は他球団のゼネラルマネージャーの談話として匿名を条件に以下のように語っている:「ウィルソンはアメリカンリーグのチームのほとんどが興味を持っていた選手であった。三振は多いものの、速球を打てるし左投手も苦にせず、ライトかファーストの守備も決して恥ずべき程のものでもなかったのに。」 2006年は打率.251、17本塁打49打点を記録。359打席に立ち122回もの三振を記録、ヤンキースは次の年の契約を更新しない事を発表。2007年1月にアトランタ・ブレーブスと契約。オフの2008年2月9日に、シンシナティ・レッズとマイナー契約。しかし、キャンプイン直後の身体検査で、昨年手術を受けた肩が完治していないと診断されたため解雇となった。
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