ムッソリーニ救出
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「オットー・スコルツェニー」の記事における「ムッソリーニ救出」の解説
1943年7月25日、休暇中のスコルツェニーは親衛隊作戦本部から連絡をうけ、急遽、総統大本営へ向かうように命令された。飛行場では要人専用の飛行機とラドルが待機しており、機内でラドルとの挨拶を交わした後、軍服に着替えスコルツェニーは総統大本営へ向けて飛び立った。「狼の巣」へ到着した彼は高級将校の集められた部屋へ案内され待機させられ、スコルツェニーを含む6名の将校がヒトラーの個室に招かれることになった。 暫くして、ヒトラーが入ってくると6人は襟を正してヒトラーの副官の一人が全員を紹介していった。ヒトラーは全員をじっと見すえながら「イタリアを知っている者は誰か」と尋ね、スコルツェニーが唯一それにこたえた。ヒトラーは「諸君に尋ねるが、諸君らはイタリア人をどう思うか」と続けると「枢軸の盟友」「防共の味方」といった応答が交わされたが、スコルツェニーは「総統、私はオーストリア人です」としっかりとした口調でこたえた。これは、ヒトラーが同郷で、南チロルを奪ったイタリアについて自分が言わんとしたことをさとってくれると思った発言であり、すると、ヒトラーはスコルツェニーを見つめ「他の者は下がってよろしい。スコルツェニー大尉、君と話したい」と述べスコルツェニーは部屋に残されヒトラーと2人だけになった。 ヒトラーはすぐに用件を切り出し、幽閉されていたムッソリーニの救出作戦について語り始めた。「この任務の達成を君に命ずる。戦争にとって極めて重大な任務である。そのためには権限内であらゆる事をやれ」と強く迫られたスコルツェニーは当初、困惑したが部隊の本格的な活躍の機会とみてこれを受け入れるよう決心する。 「グラン・サッソ襲撃」の指揮を執ったスコルツェニーは9月12日、幽閉場所がグラン・サッソ山頂のホテルであることを突き止め、グライダー降下し、戦闘を発生させることなくムッソリーニを無傷で救出。面会したスコルツェニーが「ドゥーチェ!我がフューラーの命により救出に参りました!」と敬礼すると、ムッソリーニは「友人が私を見捨てない事は知っていたよ」と抱擁を交わしている。スコルツェニーはムッソリーニの印象について以前より痩せていたが、独裁者としての威厳が保たれていたと回想している。 救出されたムッソリーニは本来なら小型ヘリコプターであるFa223に乗って先に脱出する手はずだったが、Fa223の故障から小型飛行機のFi156に急遽乗り換えて脱出する事になった。ドイツ領へと逃れたムッソリーニは東プロイセン州ラステンブルクの総統大本営(ヴォルフスシャンツェ)へ護送された。この功績でSS少佐に昇進し騎士十字章を受章した。
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