ムッソリーニ救出とは? わかりやすく解説

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ムッソリーニ救出

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 04:09 UTC 版)

オットー・スコルツェニー」の記事における「ムッソリーニ救出」の解説

1943年7月25日休暇中のスコルツェニー親衛隊作戦本部から連絡をうけ、急遽総統大本営へ向かうように命令された。飛行場では要人専用飛行機ラドル待機しており、機内ラドルとの挨拶交わした後、軍服着替えスコルツェニー総統大本営向けて飛び立った。「狼の巣」へ到着した彼は高級将校集められ部屋案内され待機させられスコルツェニーを含む6名の将校ヒトラー個室招かれることになった暫くしてヒトラー入ってくると6人は襟を正してヒトラー副官一人全員紹介していった。ヒトラー全員をじっと見すえながら「イタリア知っている者は誰か」と尋ねスコルツェニー唯一それにこたえたヒトラーは「諸君尋ねるが、諸君らはイタリア人をどう思うか」と続けると「枢軸盟友」「防共味方」といった応答交わされたが、スコルツェニーは「総統、私はオーストリア人です」としっかりとした口調こたえた。これは、ヒトラー同郷で、南チロル奪ったイタリアについて自分が言わんとしたことをさとってくれると思った発言であり、すると、ヒトラースコルツェニーを見つめ「他の者は下がってよろしい。スコルツェニー大尉、君と話したい」と述べスコルツェニー部屋残されヒトラー2人だけになったヒトラーはすぐに用件切り出し幽閉されていたムッソリーニ救出作戦について語り始めた。「この任務達成君に命ずる。戦争にとって極めて重大な任務である。そのためには権限内であらゆる事をやれ」と強く迫られスコルツェニー当初困惑した部隊本格的な活躍機会とみてこれを受け入れるよう決心する。 「グラン・サッソ襲撃」の指揮を執ったスコルツェニー9月12日幽閉場所がグラン・サッソ山頂ホテルであることを突き止めグライダー降下し戦闘発生させることなくムッソリーニ無傷救出面会したスコルツェニーが「ドゥーチェ我がフューラーの命により救出参りました!」と敬礼すると、ムッソリーニは「友人が私を見捨てない事は知っていたよ」と抱擁交わしている。スコルツェニームッソリーニ印象について以前より痩せていたが、独裁者としての威厳保たれていたと回想している。 救出されムッソリーニは本来なら小型ヘリコプターであるFa223に乗って先に脱出する手はずだったが、Fa223の故障から小型飛行機Fi156急遽乗り換えて脱出するになったドイツ領へと逃れたムッソリーニ東プロイセン州ラステンブルク総統大本営ヴォルフスシャンツェ)へ護送された。この功績SS少佐に昇進騎士十字章受章した

※この「ムッソリーニ救出」の解説は、「オットー・スコルツェニー」の解説の一部です。
「ムッソリーニ救出」を含む「オットー・スコルツェニー」の記事については、「オットー・スコルツェニー」の概要を参照ください。

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