ムッソリーニの野心と軍部の反対
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 16:02 UTC 版)
「コンパス作戦」の記事における「ムッソリーニの野心と軍部の反対」の解説
東アフリカ戦線への助勢と、英本土攻撃を控えたドイツからの英軍への攻撃要請という二つの事情を抱えたムッソリーニはリビアに駐屯する23万人の兵員から戦力を捻出し、エジプトへ攻撃を仕掛ける事を画策していた。伊軍上層部は(第二次世界大戦における伊軍部隊の多くがそうであった様に)北アフリカに駐屯する部隊には貧弱な火力しか持たない豆戦車・軽戦車しかない事、また戦車以外の装備も旧式化している事、そして何よりも軍の生命線である補給が慢性的に枯渇している事を理由に、慎重な意見を述べていた。イタリア陸軍は数でこそ英軍を圧倒していたが、その殆どは徒歩移動の部隊で機械化率は低く(砂漠戦では機械化・機甲化されていない部隊は大きな不利を蒙る)、少数ながら機械化された英軍に包囲される可能性が高いと考える軍人が殆どだった。 また英軍が兵士を12日以上の前線勤務を禁じて定期的に後方での3日間の完全休養を与えていたのに対し、伊軍兵士はその多くが2年以上も連続で前線勤務を続けるなど過酷な状況下に置かれており、士気の面に措いても不利が指摘されていたが、ムッソリーニはこうした軍の反対を押し切って攻撃を命じた。チアーノ外務大臣は、作戦の発動について以下のように語った。 『我々は砂漠を敗北に向かって歩く事になるだろう』
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