ムッソリーニとの出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/06 01:24 UTC 版)
「イーダ・ダルセル」の記事における「ムッソリーニとの出会い」の解説
1880年の8月頃、オーストリア・ハンガリー二重帝国のチロル郡にイーダ・イレーネ・ダルセル(Ida Irene Dalser)として生まれる。チロルの南側にあたるトレンティーノ地方最大の都市トレントから少し離れたソプラモンテ(イタリア語版)で村長を務める父に育てられた。ブルネットの髪を持つ美しい女性に成長すると、イーダは美容関係の仕事を希望してフランスのパリに留学し、東洋風のマッサージなどの美容健康法を熱心に学んでいた。 28歳の時、イーダは故郷のトレントでイタリア社会党の若手政治家だった3歳下のベニート・ムッソリーニと知り合った。元教師でイタリア語とドイツ語の双方を話せるムッソリーニは、イタリアとの領土問題を抱えていたチロルに送り込まれ、現地で親イタリア・反オーストリアの記事を執筆していた。2年後にムッソリーニは祖国に戻り、イーダも後を追う様に隣国イタリアへ移り、経験を生かして北イタリアの大都市ミラノにフランス式サロンとして「マドモワゼル・イーダの東洋風健康法と美容サロン」を開いて、マッサージで生計を立てた。
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