ミトラ教との関係とは? わかりやすく解説

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ミトラ教との関係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/28 00:41 UTC 版)

キリスト教と他宗教との関係」の記事における「ミトラ教との関係」の解説

西方ミトラ教ローマ帝国兵士中心に流行したペルシャ系の密儀宗教英語版)であり、3~4世紀頃にはやはり帝国内で流行していたキリスト教激しく競合した。ミトラ教は、アケメネス朝ペルシャオリエント征服と共に帝国内で広がったゾロアスター教などのペルシャ系の宗教土台にして、セム系などのオリエント諸宗教が混宗して出来た宗教考えられているが、その成立過程についてはよく分かっていない。 セム系ユダヤ教母体しながら、やはり同時期のオリエント諸宗教の要素取り込んで成立したキリスト教は、結果としてミトラ教共通する要素多々ある。これは古くから指摘されており、秘密の集会教団内の堅いメンバーシップ洗礼堅信礼日曜日神聖視12月25日祝日とすること、厳格な道徳律禁欲純潔重視無欲自戒指導天と地獄の概念歴史始まりにあった大洪水原初啓示霊魂の不滅来世報い最後の審判死者復活信じることなど、両者共通項多岐にわたっている。このために、少なくともキリスト教側はミトラ教儀式を「悪魔的な模倣」と呼んで非難したし、文献残っていないがミトラ教側もキリスト教非難しただろうと考えられている。これらの共通性は、両者発祥の地となったオリエントでの同時代性をまず考えるべきであるし、どちらがどちらに影響したということは資料少なすぎてほとんど分かっていない。少なくとも朝昼晩の一日三回祈る習慣や、冬至当時12月25日)を祝日とすることを、ミトラ教からキリスト教真似たことは確からしい。 この二つ宗教対立ピークに達するのは4世紀のことであり、コンスタンティヌス1世 (306 - 337) のときにキリスト教公認されミトラ教入信していたユリアヌス帝 (355 - 361) がそれを取り消し、それが次代もういちど覆り、グラティアヌス帝 (375 - 383) が382年出した勅令ミトラ教もとよりすべての密儀宗教禁止された。キリスト教の国教化とほぼ同時期にミトラ教衰退したのである

※この「ミトラ教との関係」の解説は、「キリスト教と他宗教との関係」の解説の一部です。
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