ミトラ教との関連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 03:20 UTC 版)
キリスト教のライバルだったミトラ教は、ゾロアスター教発祥で、太陽神ミトラを崇拝しており、このミトラ神が再生する日が冬至(その当時は12月25日)であった。キリスト教は、旧約聖書の「マラキ書」の「義の太陽」にイエスをなぞらえ、ミトラ教同様に、12月25日を祝うようになったという説がある。325年の第1ニカイア公会議でキリスト教会は「復活日」を正式決定したが、イエスの誕生日については当時それほど重要でないので話題になっていない。キリスト教とミトラ教の融合、そして、冬至祭の伝統を持つケルト民族やゲルマン民族を統合する狙いがあったとも言われている。また、真冬の時期で、えさの少ない小鳥のために、ユール・ネックと呼ばれる、麦の穂束を立てるならわしもある。 ユール・ログ、ユール・ゴート、ユール・シンギング(家々や果樹園を訪ねてキャロルを歌うこと)その他のユールに関する系統のものは、キリスト教以前からの祭りで、はっきりした日付は分からないが、13世紀の時点では、11月14日から12月13日の間であったといわれる。その後、年末の時期となったが、ユールの時期を、いつかであるか特定するのは難しい。神々に供物をする時期は、他に参考となるものが見つからず、真冬の祭りに一体化させるというのが、一番信頼性があると思われる。また、初期のゲルマン人の天文学の知識は大雑把なものだったともいわれている。 ユールは、古代ローマの冬至祭であるサトゥルナリアに起源があるともいわれる。この祭りは元々、ローマ神話の農業の神サートゥルヌス(ギリシャ神話のクロノス)を祝うもので、12月17日に行われていたのが、1世紀ごろに12月23日に行われるようになった。この日は完全な安息日で、偽王(モック・キング)が登場した。古代ローマにはカレンズ(英語版)という年明けの祭もあり、これもサトゥルナリアと同じやり方で行われた。 新異教主義の宗教であるウイッカの信者は、それぞれの家庭でこの祭りを祝うとされる。
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