ミシャグジと建御名方神
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 17:13 UTC 版)
「ミシャグジ」の記事における「ミシャグジと建御名方神」の解説
「タケミナカタ#『古事記』の説話について」も参照 国史では諏訪の神が「建御名方神」という名前で登場しており、『古事記』や『先代旧事本紀』の国譲りの場面で建御雷神との力比べに敗れてしまう大国主神の次男として描かれている。しかし、『日本書紀』や、出雲地方の古文献である『出雲国風土記』と『出雲国造神賀詞』にはこの建御名方神が登場せず、『古事記』でも大国主神の子でありながらその系譜に名前がみられないため、建御名方神は国譲り神話に挿入されたという説を唱える研究者が多い。 諏訪にも建御名方神(正確に言うと『古事記』等における建御名方神)の影が薄いと言える。中世の祝詞には神名が出て来ず、「建御名方神」という神名もほぼ浸透しておらず、祭神の事を単に「諏訪明神」「諏訪大明神」「お明神様」等と呼ばれることが多い。また、『古事記』の説話とは異なる神話と伝承(入諏神話や、諏訪明神を蛇(龍)とする民話など)が現地に伝わっている。このことから、建御名方神は「ミシャグジ信仰をヤマト王権の神統譜に組み入れた結果生まれた神名」(大和岩雄、1990年)または「朝廷への服従のしるしとして諏訪に押し付けられた表向けの神」(寺田鎮子・鷲尾徹太、2010年)で、諏訪の本来の神はむしろミシャグジであるという説が度々立てられている。 『日本書紀』の持統天皇5年(681年)8月の条には「使者を遣わして、龍田風神、信濃の須波(諏訪)・水内等の神を祭らしむ」とあり、諏訪に祀られている神は奈良時代以前に既に朝廷に風の神・水の神として崇敬されていたことが分かる。建御名方神を後世に創作された神とする研究者はこの「須波神」をミシャグジまたは守矢神(洩矢神)としている。 なお、後で述べるように中世の上社ではミシャグジ(御左口神・御社宮神)と諏訪明神は各々別神であると理解されていたことが明らかである。
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