ミシャグジと諏訪御子神
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 17:13 UTC 版)
「ミシャグジ」の記事における「ミシャグジと諏訪御子神」の解説
近代の諏訪においては「御左口神」(御闢地神=土地開発の神)という名称は国土開発に功績のあったと言われる13柱の御子神を指すと解釈された。明治時代の神社明細帳では、諏訪に存在していたおよそ40のミシャグジ社のほとんどが建御名方神(諏訪大神)の御子神を祀る神社として記録されており、その中には「健御名方命御子」として「御射宮司神」の名を挙げる神社が一社ある。長野県(旧信濃国)全体に見られる諏訪御子神を単独で主神として祀る神社を「社子神」「御佐久地」等と称される例もある。 ミシャグジを諏訪明神の眷属神・御子神として位置付ける見方は既に中世に見られる。例えば、守矢満実は「当社御神の王子」について以下のように述べている。 誠ニ当社御神之王子にて、外県両人は上野一宮御腹、内県・大県四人は下宮ニやどらせ給、御誕生うたがひなし。御左口神も十三所と申も、当社の王子御一体、今こそ思合候(思ひ合はせ)とて、弥(いよいよ)不致祈念者(祈念を致さざる者)なし。 — 『守矢満実書留』 要するに、満実は御左口神(ミシャグジ)を6人の神使(おこう)や「十三所(王子)」のように諏訪明神の王子神であると理解していた。これは、『上社物忌令』「陬波六斎日」に記されている「大明神・十三所王子・御左口神」と通じるとみられる。また、『守矢神長古書』には「当社にて御社宮神というのは皆御子孫の事言う也」とある。『諏方大明神画詞』(1356年)にも「十三所の王子」が諏訪明神を守護する眷属神として登場している。
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