マンスホルト計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/05 02:19 UTC 版)
マンスホルト計画とは1960年代に出された構想で、小規模農家を農地から切り離し、これらを統合・大規模化することで効率性を高めようとすることが試みられた。しかし農業の特別な性質や農業団体による大陸規模の圧倒的なロビー活動により本計画はEUの方針からはずされた。 1968年12月21日、欧州委員会農業担当委員マンスホルトは理事会に対して、欧州共同体 (EC) における農業改革にかんする主意書を送付した。この長期的計画は「1980年農業計画」 (1980 Agricultural Programme) 、あるいは作成にあたったグループの活動場所であるルクセンブルクの地名を取って「ガイシェル・グループ報告書」 (Report of the Gaichel Group) ともいわれるもので、ヨーロッパ農業の新しい社会的・構造的政策の基礎が描かれたものである。 マンスホルト計画では価格や市場の下支え政策の限界について言及している。それによるとECが少なくとも500万ヘクタールの農地を削減しなければ一部の市場で不均衡が生じるという予測がなされている。またマンスホルトは農業生産高やECの歳出が上昇しているにもかかわらず、共通農業政策が実施されてから農家の生活水準は改善されていないと指摘している。そこでマンスホルトは生産手法の改革を行い、また小規模農家については早期に解消して規模を拡大するべきとしている。すなわちこの計画はおよそ500万人の農家に対して廃業を求めていくというもので、これにより農地を再分配して残った農家の大規模化を進めていくというものである。それぞれの地域の他業種の労働者と比較して平均的な年収を農地所有者に保証すれば、農家は生き残れると考えられていた。さらに職業訓練という点について、マンスホルトは再訓練や早期廃業に対応するための福祉計画を用意していた。これらを踏まえてマンスホルトは加盟国に対して採算性の低い農家に対する直接助成を制限するよう求めていった。 ところが農業団体の反発の激化を受け、マンスホルトはまもなく自身の提案の一部を縮小せざるを得なくなった。最終的にマンスホルト計画は1972年にそれぞれ農業経営者の近代化、農家の廃業、農家の技術訓練にかんする3つの指令に縮小されることとなった。
※この「マンスホルト計画」の解説は、「共通農業政策」の解説の一部です。
「マンスホルト計画」を含む「共通農業政策」の記事については、「共通農業政策」の概要を参照ください。
- マンスホルト計画のページへのリンク