マルクス・アントニウスとの結婚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/21 15:37 UTC 版)
「フルウィア (マルクス・アントニウスの妻)」の記事における「マルクス・アントニウスとの結婚」の解説
クリオの死後も、フルウィアはローマのエリート階級で影響力のある未亡人であり続けた。彼女の、クロディウスの妻という名声とクロディウスから受け継がれたクリエンテラは健在であり、新たに彼女の夫となる者はその資金と支持組織を手に入れることが約束されていた。しかもその夫となる者はクロディウスの子どもたちの継父となるため、さらにクロディウスの政治との関係を強めることが可能となっていた。 紀元前47/6年、フルウィアはマルクス・アントニウスと、3度目にして最後の結婚をした。二人が結婚したのはクリオの死後数年たってからだが、マルクス・トゥッリウス・キケロは、二人の関係は紀元前58年から続いていたとしており、キケロはアントニウスを攻撃する著作『フィリッピカエ』でこの男女関係を攻撃材料に使った。彼によれば、フルウィアとクロディウスが結婚していた頃のある時、アントニウスが一度軍務を離れて夜中にローマに忍んで帰り、フルウィアに、彼女への愛と、自分がいかに有名女優キュセリスを見るのを止めたのかをつづった恋文を届けたのだという。さらにキケロは、アントニウスは金目当てでフルウィアと結婚したのだと述べている。二人が結婚した時点で、アントニウスはすでに高位へ上り詰めた政治家となっていた。紀元前49年にはもうトリブヌスを経験し、カエサルの下で軍を指揮し、紀元前47年にはマギステル・エクィトゥムに就任していた。アントニウスとフルウィアの夫婦はローマにおける強力な政治勢力となり、またマルクス・アントニウス・アンテュッルスとユッルス・アントニウスという2人の息子をもうけた。 プルタルコスはフルウィアがアントニウスに強い影響力を持っており、クロディウスの政策が彼女を通してアントニウスに継承されたと考えている。フルウィアは夫アントニウスをキケロの攻撃から守り、夫の兵からの人気を維持し、オクタウィアヌスの台頭を妨害した。実のところ、フルウィアは未だにかつてクロディウスが組織した手下たちを使役していた。アントニウスは彼らを公然と利用し、自身をクロディウスの息子たちと結び付けた。またアントニウスは、プブリウス・コルネリウス・ドラベッラとの抗争の際にもクロディウスの手下たちを使うことができた。 ガイウス・ユリウス・カエサルが暗殺されると、アントニウスはローマで最も力のある人物となった。フルウィアは、その後の彼の政治活動に多大な影響を与えた。元老院は、カエサルが死んだ後になってその人気ぶりを認識し、カエサルが計画していた立法をすべて通過させた。これによりアントニウスはカエサル時代の国庫を掌握するとともに、あらゆる法を通すことができるようになり、フルウィアと共に財産と大きな権力を手に入れることができた。伝えられるところによれば、紀元前44年のアントニウスの遠征の際には、フルウィアもブルンディシウムの軍営まで帯同したという。アッピアノスによれば、紀元前44年12月と紀元前43年の二回にわたり、アントニウスの不在中にキケロが彼を国家の敵と宣言させるよう画策した際、フルウィアはアントニウス支持の基盤を固めてそのような布告の発布を阻止した。 紀元前43年、アントニウスはオクタウィアヌスやマルクス・アエミリウス・レピドゥスと組んで第二次三頭政治体制を築き、プロスクリプティオを発動した。フルウィアは三頭政治の政治的同盟関係を強固なものとするため、娘のクロディアを若いオクタウィアヌスに嫁がせた。アッピアノスやカッシウス・ディオによれば、アントニウスらが暴力的なプロスクリプティオを展開して政敵を排除し、ローマ支配のための資金をかき集めようとした際に、フルウィアもこれに加担していたとしている。アントニウスは自身の政敵、特にキケロを追及した。もともとキケロは、アントニウスがカエサル死後に執政官の職権を乱用している、と公然と批判していた。アントニウスによってキケロが殺されたときについて、多くの古代の文献では、フルウィアはアントニウスやクロディウスを侮辱したキケロへの復讐が成ったことを喜んだ、と記録している。カッシウス・ディオによれば、フルウィアは嬉々として自分の金製ヘアピンを使い、キケロが生前武器として雄弁を生み出してきた舌を切り刻み、最後の復讐を遂げた、とされている。
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