マルクス・アントニウスとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/21 01:12 UTC 版)
「グラピュラ (ヘタイラ)」の記事における「マルクス・アントニウスとの関係」の解説
数年後、グラピュラはローマの第二回三頭政治の一角を占めるマルクス・アントニウスの愛人の一人となった。これによりグラピュラは政治的な影響力を獲得し、自身の長男をカッパドキア王に据えさせることに成功した。紀元前36年、アントニウスは前のカッパドキア王アリアラテース10世を廃位、処刑して、アルケラオス・シシネスを後釜に据えたのである。 グラピュラはカッパドキア宮廷で権力を握り、その内政に関わったと考えられている。紀元前41年のローマの内戦であるペルシア戦争の際、オクタウィアヌスは有名な韻文詩の中でグラピュラの影響力の強さを罵っている。オクタウィアヌスはアントニウスがグラピュラと恋に落ちたことをなじり、その正妻であるフルウィアを侮辱する下品な詩を作ったのである。 アントニウスがグラフィラを犯すゆえに、 フルウィアは私を罰するのだ、同じように私に彼女を犯せと。 私がフルウィアを犯すだと?もしマニウスが私に 彼を犯してくれと乞うてきたら?私はするだろうか?そうは思わない、私が正気であれば。 「まぐわるか戦うか」と彼女は言う。彼女は、 私にとって私の針は命そのものよりかわいいものだと知らないのか?ラッパを鳴り響かせろ! ラテン語原文 Quod futuit Glaphyran Antonius, hanc mihi poenam Fulvia constituit, se quoque uti futuam. Fulvia ego ut futuam? Quid si me Manius oret pedicem, faciam? Non puto, si sapiam. "Aut futue, aut pugnemus" ait. Quid quod mihi vita carior est ipsa mentula? Signa canant!
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