マクラーレン・M19Aとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > マクラーレン・M19Aの意味・解説 

マクラーレン・M19A

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/09 02:59 UTC 版)

マクラーレン・M19
カテゴリー F1
コンストラクター マクラーレン・レーシング
デザイナー ラルフ・ベラミー
先代 M14A
後継 M23
主要諸元[1]
シャシー アルミニウムモノコック.
サスペンション(前) ダブルウィッシュボーン.
サスペンション(後) ダブルウィッシュボーン.
トレッド 前:63.0 in (160 cm)
後:62.0 in (157 cm)
ホイールベース 100 in (254 cm)
エンジン フォード-コスワース DFV 2,993 cc (182.6 cu in) 90° V8, NA ミッドエンジン.
トランスミッション ヒューランド DG400 5速 MT
重量 560 kg (1,235 lb)
主要成績
チーム ブルース・マクラーレン・モーターレーシング
チーム ヤードレー マクラーレン
ヤードレー チーム・マクラーレン
ドライバー デニス・ハルム
ピーター・レブソン
ジョディ・シェクター
ブライアン・レッドマン
初戦 1971年南アフリカグランプリ
出走 優勝 ポール Fラップ
25 1 1 3
テンプレートを表示

マクラーレン・M19A (McLaren M19A) は、マクラーレン1971年から1973年F1世界選手権に投入したフォーミュラ1カーM19CはM19Aの改良型で、1972年および1973年に使用された。

設計

ゴードン・コパックインディ500用のマクラーレン・M16の設計を担当していたため、1971年シーズン用のF1マシンはラルフ・ベラミーが担当した。その結果「The Alligator Car」のニックネームを持つ別の車が出来上がった[2]。このニックネームの理由となった梨地のコクピット側面は、3つの燃料タンクの内2つをドライバーの横に配置した結果であった[3]

M19Aは前後のサスペンションにインボード式のコイルオーバーショックを採用し、それはスプリングが圧縮されるにつれてスプリングレートが増加する揺動リンクを介して作動した[3]。この揺動リンクは従来システムを採用するM19Cでは使用されなかった[1]。M19AとM19Cはどちらもコスワース DFVをミッドマウントで搭載し、ヒューランドの5速マニュアルギアボックスを採用した。

レース戦歴

1971

M19Aはデニス・ハルムのドライブで1971年南アフリカグランプリにデビューした。ピーター・ゲシンは引き続いてM14Aをドライブし、2台目のM19Aはオランダグランプリに投入された。ゲシンがBRMに移籍した後、ジャッキー・オリバーオーストリアグランプリで2台目のM19Aをドライブした。ハルムはカナダグランプリでM19Aの初のファステストラップを記録した。しかしM19Aはシーズンを通して信頼性が低く、コンストラクターズランキングは6位に終わった。

ワークス以外もM19Aを使用した。カナダグランプリおよびアメリカグランプリではペンスキー-ホワイト・レーシングがM19Aを走らせ、カナダではマーク・ダナヒューがF1デビューし3位に入った。デヴィッド・ホッブスはアメリカグランプリで10位となった。

1972

ピーター・レブソンのマクラーレン・M19C、2004年カナダグランプリにおけるデモ走行

マクラーレンは1972年シーズンに向けて、新スポンサーとして化粧品会社ヤードレー・オブ・ロンドンを獲得した。マシンはヤードレーのスポンサーカラーである白に塗り替えられ、車体側面の燃料タンクのみ従来のオレンジ色で塗装された。

開幕戦のアルゼンチングランプリでハルムは2位に入り、幸先の良いスタートとなった。ピーター・レブソンはマクラーレンでのデビュー戦となったがリタイアに終わった。第2戦南アフリカグランプリではハルムが優勝、レブソンは3位と両者とも表彰台に上った。ハルムの優勝は自身およびマクラーレンにとって1969年メキシコグランプリ以来の優勝であった。

改良型のM19Cはモナコグランプリに投入され、ハルムがドライブした。レブソンとブライアン・レッドマンオーストリアグランプリまでM19Aをドライブした。レブソンはカナダグランプリポールポジションを獲得、これはマクラーレンにとって初のポールポジションであった。1971年に比べて信頼性は向上し、コンストラクターズランキングは3位となった。

後のワールドチャンピオン、ジョディ・シェクターはM19AをドライブしてアメリカグランプリでF1デビューを果たした。

1973

マクラーレンはハルムとレブソンのラインナップで1973年シーズンに入り、マシンはM19Cを引き続いて使用した。レブソンはブラジルグランプリではM19Aに切り替えている。ハルムは南アフリカグランプリで新型のM23をドライブした。ハルムはポールポジションを獲得、決勝は5位に入り、レブソンとシェクターはM19Cを使用、レブソンが2位、シェクターは9位となった。レブソンの2位はM19に取って13回目、最後の表彰台となった。このレースがM19に取って最後のレースとなった。

F1における全成績

(key) (太字ポールポジション斜体ファステストラップ

チーム エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 ポイント 順位
1971年 M19A フォード-コスワース DFV G RSA
ESP
MON
NED
FRA
GBR
GER
AUT
ITA
CAN
USA
10* 6位
デニス・ハルム 6 5 4 12 Ret Ret Ret Ret 4 Ret
ピーター・ゲシン NC 9 Ret Ret
ジャッキー・オリバー 9
1972年 M19A
M19C
フォード-コスワース DFV G ARG
RSA
ESP
MON
BEL
FRA
GBR
GER
AUT
ITA
CAN
USA
47 3位
デニス・ハルム 2 1 Ret 15 3 7 5 Ret 2 3 3 3
ピーター・レブソン Ret 3 5 7 3 3 4 2 18
ブライアン・レッドマン 5 9 5
ジョディ・シェクター 9
1973年 M19A
M19C
フォード-コスワース DFV G ARG
BRA
RSA
ESP
BEL
MON
SWE
FRA
GBR
NED
GER
AUT
ITA
CAN
USA
58** 3位
デニス・ハルム 5 3
ピーター・レブソン 8 Ret 2
ジョディ・シェクター 9

* 4ポイントはカスタマーチームによる。
** 1973年の36ポイントはマクラーレン・M23による。

ノンワークス

(key) (太字ポールポジション斜体ファステストラップ

チーム シャシー エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11
1971年 ペンスキー-ホワイト・レーシング M19A フォード-コスワース DFV G RSA
ESP
MON
NED
FRA
GBR
GER
AUT
ITA
CAN
USA
マーク・ダナヒュー 3
デヴィッド・ホッブス 10

脚注

  1. ^ a b 1971 McLaren M19A Cosworth”. Ultimatecarpage.com. 2014年9月20日閲覧。
  2. ^ McLaren Formula 1 - The Cars: McLaren M19C”. mclaren.com. 2014年9月20日閲覧。
  3. ^ a b NEW RACING CARS ---McLaren Indianapolis & FI March 711, BRM P160”. motorsportmagazine.com. Motor Sport (magazine). 2014年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月20日閲覧。

外部リンク



このページでは「ウィキペディア」からマクラーレン・M19Aを検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書からマクラーレン・M19Aを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書からマクラーレン・M19A を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「マクラーレン・M19A」の関連用語

マクラーレン・M19Aのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



マクラーレン・M19Aのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのマクラーレン・M19A (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS