ポリグロミー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/20 09:30 UTC 版)
「ジャック・イニャス・イトルフ」の記事における「ポリグロミー」の解説
ポリグロミーによる古代建築の実測図は決して彼が最初ではなく、それまでにも考古学者の発掘遠征隊がしばしば指摘していることでもあり、厳正で単純さを求めたキャトルメール・ド・カンシーすらも古代の色彩効果を認めているほどである。しかし、イトルフは建築家としてその問題を正面から論じ またみずから彩色の復原図を起こし、その意味で周囲から様々の反響を呼ぶことになった。 1820年、シチリアのアグリジェントから画家ジュラールに宛てた書簡の中で、イトルフは古代建築が原色であでやかに塗られていたに違いないと認めている。そして、シチリアで実測した図面はその推測に従って、様々な色合いで着色されていた。 帰国後1824年、彼は美術アカデミーにてその問題をめぐって長い講演を行う。その内容は2年後に「シチリアの古代建築」という題目で図版主体の本として出版される。この論はアカデミーで高く評価され、なかでもローマの留学者に与えた影響はすこぶる大きく、たとえば1824年ローマ大賞に輝いてローマに派遣されたアンリ・ラブルーストは、実測図面をポリグロミーにもとづいて復原図となして、パリのアカデミーで喧々たる論議き起こしたことがあるし、後に続く若い留学生達はより上手なポリグロミー図面を起こし、新しい潮流をかたちつくるほどだった。 彼は実に様々の建築を手がけているが、たとえばパリの新しい都市空間を彩るものとして登場したサス(シルク)など、理論を試す絶好の対象であったし、1841年に建設されたシルク・デ・シャンゼリゼは、平面、正面に4柱式のポルティコを付け周囲をコリント式の円柱(壁付き柱)で囲んでいる。この円柱は黄色く配色され、フリーズは青地に唐草模様、正面タンパンの薄肉彫は赤地、といった具合に、いかにも派手やかな建築だった。シルク・ナポレオン(1852)においても全く同じ試みがなされている。 義父のルペールとともにてがけたサン・ヴアンサン・ド・ポール教会(1831-1844)も、そうした彼のポリグロミー理論を応用に移している。ここでは、シチリアで実際に観察しいたく感動したモザイクを特に用いることになり、ファサード、扉、内部壁面、床など随所にこの新材料が試されることになった。 全体の基調は青で、その色とりどりの色彩効果は従来の教会建築の概念を大きく打ち破ることにつながる。
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