ポウハタンに関連するもの
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/25 04:54 UTC 版)
「ポウハタン酋長」の記事における「ポウハタンに関連するもの」の解説
現在のグロスター郡にある「ウィコミコ」と呼ばれる村では、伝統的にポウハタン族の「煙突」と「建物」の一部とされている遺跡の再現物があり、「ポウハタンの煙突」と呼ばれている。 しかし、2003年以降バージニア州政府役人や研究者達はウェロウォコモコがあった場所はもっと西のヨーク川沿いパータンベイのところだと結論付けた。考古学者たちは西暦1200年頃と考えられる大きな集落跡と、同1400年頃とされる土盛り工作物、さらには1600年代初期にイギリス人と交流した可能性を示すヨーロッパ製品を含め多くの人工物を見つけてきた。2006年、ウェロウォコモコ考古学遺跡はアメリカ合衆国国家歴史登録財に登録された。発掘はウィリアム・アンド・メアリー大学の指導するチームで続けられている。 「ポウハタン郡」はポウハタン族の領土からいくらか西にあるが、ポウハタン酋長とその部族に因んで名付けられた。またリッチモンド独立市で、「ポウハタンヒル」はポウハタン酋長たちの集落があった場所に近いと考えられている。ポウハタン族の大集落として、ここにはパラハント、あるいはタンクス・ポウハタン(小さいポウハタン)と呼ばれた酋長がいた。彼に初めて会ったイギリス人は彼を「大ポウハタン」であると勘違いした。この混乱は今日でも続いている。 ポウハタン酋長のいた集落「ウェロウォコモコ」はバージニア州グロスター郡にあったとみられていて、考古学調査が盛んに行われており、現在アメリカ合衆国国家歴史登録財に指定されている。 オックスフォードのアシュモリーン博物館には、「ポウハタンのマント」と呼ばれる、貝殻模様と肖像で飾られた鹿皮のマント(ケープ)が収蔵されている。このケープは「ポウハタン酋長の持ち物だった」と言われているが、その実証には疑問がもたれている。このケープは確かにヨーロッパの収集品のなかで現存する北米入植初期の加工品の一つで、多くの貴重な北米産の貝殻ビーズで加工されているので、周りから尊敬を集めたインディアンのものであったことは間違いない。 ポウハタン酋長は娘のポカホンタスがイギリス人植民者ジョン・ロルフと結婚したことで、その一子トマス・ロルフの祖父になった。このトーマスは、ロルフの実の子供ではない。トーマスの実の父親は、ロルフの上司のトーマス・デール卿と見られている。イギリス人とバージニア・インディアンの血筋を引くこの子孫は、バージニアの第一家族集団の一つ、ロルフ家となっている。
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