ボランティア射撃におけるウィットワース銃
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「ウィットワース銃」の記事における「ボランティア射撃におけるウィットワース銃」の解説
軍用ライフルとしてはあまり成功を収めなかったウィットワース銃であったが、ボランティア射撃においてはとても名を遺したライフルであった。特に有名とされているのは、当時のヴィクトリア女王による射撃である。 これは、NRA(英:National Rifle Association of the United Kingdom)がウィンブルドン・コモンで開催した最優秀賞総会の最初の射撃会において、1860年7月2日に、機械式レストに設置されたウィットワース銃をヴィクトリア女王が400ヤードの距離から発砲したもので、ホイットワースが引き金に取り付けられた絹のコードを陛下に手渡すと,そのコードをわずかに引っ張り、ライフルが発砲された。機械式レストの調整は非常に正確だったので、ウィットワース銃はその高い精度を発揮し、弾丸はターゲットの中心から1.25インチ以内に命中し、この射撃によって射撃会が開かれた。 陛下はさらに、ボランティアが2つの段階で競い合う毎年恒例の賞を設立した。一段階目では300、500、600ヤード、二段階目は800、900、1,000ヤードから射撃が行われた。一段階目ではエンフィールド銃が使用されて射撃されたが、これは二段階目では不十分な精度であるとみなされた。そのため、適切なライフルを選択するために1860年5月にイギリスのハイスにてトライアルが行われた。トライアルではホイットワースとバーミンガムのガンメーカーの代理人が競争をし、ウィットワース銃がトライアルで勝利した。こうしてウィットワース銃は、1871年に初めて後装式ライフルで試合が行われるまで、この賞のファイナリストに採用され続けた。 ウィットワース銃の開発の影響はすさまじく、ホイットワースによって確立された原則に従い、多くのガンメーカーは小口径(多くは0.451インチ)ライフルを開発した。1864年にヘンリー・ウィリアム・ヒートン(英:Henry William Heaton)が出版した「ライフル射撃に関するメモ(英:Notes on rifle-shooting)」では、ベイカー(英:Baker)、ビーズリー(英:Beasley)、ビッセル(英:Bissel)、クロッカート(英:Crockart)、エッジ(英:Edge)、ヘンリー(英:Henry)、カー(英:Kerr)、ランカスター(英:Lancaster)、ニュートン(英:Newton)、パーソンズ(英:Parsons)、リグビー(英:Rigby)、ターナー(英:Turner)、ウィットワース(英:Whitworth)などの小口径ライフルについて説明されており、これらは小口径ライフルの歴史に関連したガンメーカーのほんの一部である。そのため、いかに多くのガンメーカーが小口径ライフルの開発を行ったのかが理解できる。 しかし、1860年代半ばまでに他のガンメーカーがウィットワース銃に匹敵するライフリングシステムを開発すると、ライフル射撃場におけるウィットワース銃の優位性は衰えた。1865年、ウィットワース銃は当時のライフルマンの間で人気を博していたが、同年にギブスメトフォード銃の導入が成功すると、ウィットワース銃は終焉を迎え、ギブスメトフォード銃とその後のリグビー銃(この銃も1865年に導入された)にとって代わる事となった。
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