ペイジ時代とは? わかりやすく解説

ペイジ時代(1966年 - 1968年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 04:38 UTC 版)

ヤードバーズ」の記事における「ペイジ時代(1966年 - 1968年)」の解説

キース・レルフボーカルハープジム・マッカーティドラムスクリス・ドレヤベースジミー・ペイジギター) ペイジ時代は良くも悪くも番長続きした時代である。ペイジベック抜きで時々演奏していたため、そのまま4人体制でいけると判断。そしてハーマンズ・ハーミッツプロデューサーだったミッキー・モストプロダクション移籍マネージャーのネイピア・ベルもベックを追う形で辞め後任ペイジ旧知ピーター・グラントになった。この時ネイピア・ベルは「メンバー中に凄く頭の切れる奴がいる…ジミー・ペイジさ」とグラント話したという。ペイジセッション時代培った豊富なアイデア持ち、よりハードなサウンド推し進めていったが、当時プロデューサーミッキー・モストピーター・グラントは、ポップ志向の強い楽曲レコードにすることをバンド強要した。そして、その影響顕著なアルバムリトル・ゲームズ』がアメリカのみでリリースされるこの頃バンドイギリスでの人気落ち目であった。しかし海外ではまだ需要があったため、アメリカヨーロッパ各国を回るツアー三昧日々続いたライブ演奏楽しんでいたペイジをよそに、他のメンバー達は意欲失いつつあった。レコード・セッションにも参加せず(させてもらえなかった?)、マッカーティはドラッグ漬け時折演奏不能に陥ったり、元々低めな声のレルフは、ラウドになってゆくバンドサウンド付いて行けず声が破綻寸前だった。解散後発表されライブ盤LIVE YARDBIRDS FEATURING JIMMY PAGE』は、そんな状況しっかりと刻んでいる(後のレッド・ツェッペリン初期ナンバーDazed And Confused」も歌詞以外ほぼ同じに演奏されている)。 そして、「Goodnight Sweet Josephine」、「Think About It」のシングル発表1968年7月7日ラトンでのコンサート最後にレルフとマッカーティは脱退しアコースティック・デュオを結成ペイジテクニック重視しスティーヴ・マリオットスティーヴ・ウィンウッド、テリー・リード(vo.g)と、プロコル・ハルムのB.J.ウイルソン(ds)をメンバーに誘うが、いずれも断られてしまう。ほどなくドレヤも写真家になるべく脱退残されペイジは、契約上の問題もあって、バンド継続させようセッション仲間だったジョン・ポール・ジョーンズ組みバーミンガム出身無名のシンガーロバート・プラント、その仲間のドラマージョン・ボーナムを加え再始動する。この時、オリジナルメンバーが居なくなったこともあって、ニュー・ヤードバーズとバンド名を改めた。しかし、その後契約上の問題解決したことや、過去の物となりつつあった「ヤードバーズ」を名乗ることに意義乏しかったことも有り結局、ニュー・ヤードバーズは「レッド・ツェッペリン」の名で、ヤードバーズとは決別し新たなバンドとして再出発遂げることとなった

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