ペイジ時代(1966年 - 1968年)
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「ヤードバーズ」の記事における「ペイジ時代(1966年 - 1968年)」の解説
キース・レルフ(ボーカル、ハープ) ジム・マッカーティ(ドラムス) クリス・ドレヤ(ベース) ジミー・ペイジ(ギター) ペイジ時代は良くも悪くも一番長続きした時代である。ペイジはベック抜きで時々演奏していたため、そのまま4人体制でいけると判断。そしてハーマンズ・ハーミッツのプロデューサーだったミッキー・モストのプロダクションに移籍。マネージャーのネイピア・ベルもベックを追う形で辞め、後任はペイジと旧知のピーター・グラントになった。この時ネイピア・ベルは「メンバーの中に凄く頭の切れる奴がいる…ジミー・ペイジさ」とグラントに話したという。ペイジはセッション時代に培った豊富なアイデアを持ち、よりハードなサウンドを推し進めていったが、当時のプロデューサー、ミッキー・モストやピーター・グラントは、ポップ志向の強い楽曲をレコードにすることをバンドに強要した。そして、その影響が顕著なアルバム『リトル・ゲームズ』がアメリカのみでリリースされる。この頃、バンドはイギリスでの人気は落ち目であった。しかし海外ではまだ需要があったため、アメリカやヨーロッパ各国を回るツアー三昧の日々が続いた。ライブ演奏を楽しんでいたペイジをよそに、他のメンバー達は意欲を失いつつあった。レコード・セッションにも参加せず(させてもらえなかった?)、マッカーティはドラッグ漬けで時折演奏不能に陥ったり、元々低めな声のレルフは、ラウドになってゆくバンドのサウンドに付いて行けず声が破綻寸前だった。解散後に発表されたライブ盤『LIVE YARDBIRDS FEATURING JIMMY PAGE』は、そんな状況をしっかりと刻んでいる(後のレッド・ツェッペリンの初期のナンバー「Dazed And Confused」も歌詞以外ほぼ同じに演奏されている)。 そして、「Goodnight Sweet Josephine」、「Think About It」のシングルを発表。1968年7月7日のラトンでのコンサートを最後にレルフとマッカーティは脱退しアコースティック・デュオを結成。ペイジはテクニックを重視しスティーヴ・マリオットやスティーヴ・ウィンウッド、テリー・リード(vo.g)と、プロコル・ハルムのB.J.ウイルソン(ds)をメンバーに誘うが、いずれも断られてしまう。ほどなくドレヤも写真家になるべく脱退。残されたペイジは、契約上の問題もあって、バンドを継続させようとセッション仲間だったジョン・ポール・ジョーンズと組みバーミンガム出身で無名のシンガーロバート・プラント、その仲間のドラマージョン・ボーナムを加え再始動する。この時、オリジナルメンバーが居なくなったこともあって、ニュー・ヤードバーズとバンド名を改めた。しかし、その後、契約上の問題が解決したことや、過去の物となりつつあった「ヤードバーズ」を名乗ることに意義が乏しかったことも有り、結局、ニュー・ヤードバーズは「レッド・ツェッペリン」の名で、ヤードバーズとは決別した新たなバンドとして、再出発を遂げることとなった。
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