ベイカーのフランス艦隊目撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/07 10:05 UTC 版)
「オルテガル岬の海戦」の記事における「ベイカーのフランス艦隊目撃」の解説
ビスケー湾にはすでに多くのイギリス艦と戦隊がいて、フランス艦がいないどうかを見張っていた。ロシュフォール戦隊の指揮官ザカリ・アルマンは、1805年7月にこの港を出て、その時点ではアルマンの遠征(英語版)として知られる大西洋の航海に出ており、イギリスの商船を襲った。この時イギリスの艦が1隻巡回に出ていた。この艦は36門艦フェニックス(英語版)で、指揮官はトマス・ベイカーだった。ベイカーはシリー諸島の西を巡回するように命令を受けていたが、10月の終わりに、数人の中立国の商人から、アルマンの戦隊がビスケー湾にいるのが見えたと言う知らせを受け取っていた。ベイカーはすぐに駐留地から南へ向かい、11月2日にはフィニステレ岬の緯度まで到着した。この日はちょうどデュマノワールがビスケー湾に入った日だった。ベイカーは11時に北北西に軍艦が向かっているのが見え、すぐさま後を追った。恐らくこの艦は、ロシュフォール戦隊のものだろうとベイカーは予測したが、実はデュマノワールの艦で、正午に風下に進み、南へ逃げたフェニックスを追った。ベイカーは、ストラカンの戦隊がこの海域にいるのを知っていて、こういう行動を取ることで、フランス戦隊をリチャード・ストラカン指揮下のイギリス戦隊におびき寄せられるのではないかと期待したのである。 フランス戦隊の追跡を受けていたベイカーは、午後3時に4隻の艦が南を目指しているのを発見した。一方、デュマノワールの戦隊もこの4隻に気付き、東へ向かった。ベイカーは追跡されなくなり、フランス戦隊を監視する態勢に入った。相手の戦力と配置を確認した後、ベイカーは南東への航行を再開して砲撃を行い、先に見た4隻、恐らくはイギリスのものと思われる戦隊に信号を送った。デュマノワールの戦隊は、すでにストラカンの戦隊に接近していて、ジョン・メイトランド(英語版)艦長の38門艦ボーディシー(英語版)と、36門艦のアダム・ドラムンド(英語版)艦長指揮下のドライアド(英語版)の2隻のフリゲート艦に追われていた。ボーディシーとドライアドは、夜の8時45分に、南の方向にフェニックスとこの4隻を見つけて、信号を送った。ベイカーは、自分とフランス戦隊との間に、新しく入ってきた艦に懐疑的だったため、彼らの方には向かわず、その代わりに南の方へと進んだ。今やボーディシーとドライアドには十分な兵員が乗艦しており、そしてフェニックスは4隻の戦列艦に接近していて、その付近には他に3隻の艦が見えているのが明らかだった。最終的にこれら4隻のイギリス艦は、最も風上にいた80門艦カエサル(英語版)から2マイル(約3.2キロ)の距離にまで進んだが、彼らの掲げる信号にはカエサルから何の返答もなく、10時30分に退却し、その後英仏どちらの艦も見えなく目にしなくなる場所まで去って行って、戦闘にもそれ以上参加しなかった。
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