プーミ・ウォンウィチットとは? わかりやすく解説

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プーミ・ウォンウィチット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/14 02:50 UTC 版)

プーミ・ウォンウィチット(Phoumi Vongvichit, 1909年4月6日 - 1994年1月7日)は、ラオスの政治家。ラオス内戦期における左派勢力パテート・ラーオ[1]の政治指導者であり、戦後はラオス人民民主共和国主席代行を務めた。


  1. ^ パテート・ラーオとは、元来、ラオス内戦期における左派勢力ネーオ・ラーオ・イサラ(自由ラオス戦線)およびネーオ・ラーオ・ハクサート(ラオス愛国戦線)の戦術部隊を指すが、パテート・ラーオの呼称は1954年ジュネーブ協定において反ラオス王国政府の政党として用いられ、1965年にパテート・ラーオ軍がラオス人民解放軍と改称した後も、国際的メディアはラオスの解放運動をパテート・ラーオと呼び続け、ネーオ・ラーオ・ハクサートとパテート・ラーオと区別しなかった。ヴォーラペット(2010年)、16ページ。
  2. ^ プーミー(2010年)、50 - 51ページ。
  3. ^ プーミ知事と日本軍の協力については、青山(1995年)、41 - 45ページを参照。
  4. ^ プーミー(2010年)、81ページ。
  5. ^ プーミー(2010年)、110 - 111ページ。
  6. ^ ヴォーラペット(2010年)、35ページおよび同書296ページの年表。
  7. ^ スチュアート-フォックス(2010年)、297ページ、脚注104
  8. ^ (アジア・中東動向年報 1987年版)の9月11日付「カンボジア,ラオス重要日誌」において、「常任委員会議長にはプーミ・ボンビチト」とあるが、(アジア動向年報 1988年版)の10月18日付では、「議長にボンビチト大統領代行が就任していることを報道」とある。
  9. ^ Laos - Party Structure, 1994.


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