プロ野球球団と球場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 21:33 UTC 版)
小林は阪神急行電鉄発足前の1915年(大正4年)、学生野球(後の六大学野球)の人気や全国中等学校野球優勝大会(現:全国高等学校野球選手権大会)の開催を見て、さらなる野球の発展を見込み、日本においても職業野球(プロ野球)球団を設立する構想を描いた。日本初のプロ野球球団である日本運動協会が関東大震災の影響で1924年(大正13年)に解散した際には、これを引き取り「宝塚運動協会」として再結成させている。しかし日本にプロ野球が根付くには時期尚早であり、これは1929年(昭和4年)に解散した。 その後、阪神が西宮市南部に阪神甲子園球場を1924年(大正13年)に開設、そして大日本東京野球倶楽部(後の読売ジャイアンツ)設立を受け、三大都市圏における野球試合の開催を行う構想に乗り、1935年(昭和10年)に大阪タイガース(後の阪神タイガース)を設立すると、阪急でもこれに対抗して1936年(昭和11年)に再び野球への参入を決定、宝塚球場を根拠地に「阪急職業野球団」(後の阪急ブレーブス→オリックス・バファローズ)を設立した。阪急はそれに飽き足らず、翌年には甲子園球場から2km足らずの至近距離、西宮北口駅のそばに阪急西宮球場を開設している。阪神タイガースの初代監督である森茂雄は、阪急への敗北も要因となって解任されている。 阪急が1988年(昭和63年)に球団経営から撤退した後、1991年(平成3年)から阪急西宮球場はフランチャイズ球場ではなくなった。その後2002年(平成14年)に閉鎖、2005年(平成17年)までに解体されている。
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