プロボウラー時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/25 15:05 UTC 版)
オリオンズを退団後、グローバルリーグの東京ドラゴンズに投手兼コーチとして参加。しかしリーグは破産し、宿賃はおろか帰国する費用も無くなってしまう。当時リーグに参加していた龍を含め26名は路頭に迷う事になるが、日本大使館の援助により事なきを得る。そこで龍は初めてボウリングを目にした。 龍は「野球ではなくボウリングで生計を立てられる」と思いプロボウラーになろうと決意、その日からボウリング場で働きながら毎日6時間30ゲームの猛練習を続けた。 1970年にボウリングを始め、わずか半年で応募数約7000人の中からプロボウラーのテストに合格し転身、6試合目に初優勝を飾った。1992年から日本シニアチャンピオン大会で2連覇を達成。1994年の第5回大会で準優勝。龍曰く、野球とボウリングと似ている所は「マウンドとレーンの長さが一緒」である事である。日本テレビの番組「1億人の大質問!?笑ってコラえて!」の1コーナー『日本列島ちょっと昔の旅』(2009年5月20日放送)でのインタビューで「引退は?」と聞かれた際、「ボールが前に進む限り続けたい」と答えている。 通算タイトルは17回で歴代6位。日本ボウリング史上ナンバーワンのサウスポーと云われる。2007年に心臓弁膜症と直腸癌の手術を受けてからはトーナメント戦から引退状態であり、東京都新宿区高田馬場のシチズンプラザにてボウリング教室の講師を務めていることを明かしていた。 2017年3月15日に多臓器不全のため死去。享年75歳。
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