プレート設置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/19 17:34 UTC 版)
「旧向島捕虜収容所メモリアルプレート」の記事における「プレート設置」の解説
戦後1948年から建物は向島紡績が用いた。建物自体は広島県の近代化産業遺産に認定されていた。 1998年、向島を訪れた元イギリス人捕虜との交流をきっかけに旧向島町内で慰霊碑建立の機運が高まり、向島キリスト教会の牧師の音頭で寄付を集めていった。そして2002年、向島紡績工場外壁にイギリス兵のプレートが設置された。同年、アメリカ人捕虜にも死者がいたことが判明し、別にプレートを設置する考えも生まれることになる。 そこへ向島紡績は円高の影響により傾き2011年末に操業を停止し敷地を売却、地元スーパーマーケットチェーンエブリイが買い取り建物を取り壊し商業施設が建てられることになった。これにプレートの設置運動を行った市民団体が建物存続に向け動いたものの、膨大な耐震補強が掛かることに加え地元自治体からの補助金が見送られたこともあり存続を諦め、敷地の一角を無償提供されそこに移設することになった。有志からの募金やエブリイからの寄付に加え、廃材となった煉瓦ブロック約2万5千個をガーデニング材として販売して移設資金を集めた。2013年現在地に移設、同年隣にアメリカ兵プレートが設置された。
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