プレシディオ・ハイツの殺人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:19 UTC 版)
「ゾディアック事件」の記事における「プレシディオ・ハイツの殺人」の解説
2週間後の1969年10月11日、サンフランシスコにあるメイソン・ストリートとギアリー・ストリートの交差点 (ユニオン・スクエア(英語版)から1ブロック西にある) で、白人男性がポール・スタイン (英: Paul Stine) の運転するタクシーを拾った。客はサンフランシスコの近隣地区であるプレシディオ・ハイツ (英: Presidio Heights) にあるワシントン・ストリートとメープル・ストリートの交差点に向かうように求めた。スタインは何らかの理由で、メープル・ストリートからチェリー・ストリートの方向に1ブロック過ぎた箇所で停まった。すると、客は9ミリ口径の拳銃でスタインの頭を1回撃ち、スタインの財布とタクシーの鍵を奪った。さらに、スタインの血に染まったシャツの裾を引き裂いて持ち去った。午後9時55分に、3名の10代の少年たちが通りを挟んだ向かい側から犯人の姿を目撃していた。凶行の最中、3人は警察に通報した。3人は客がタクシーを拭って証拠を抹消し、1ブロック北にあるプレシディオ(英語版)の方へ歩き去っていくのを見た。 通報に駆け付けた巡査のドン・ファウク (英: Don Fouke) とエリック・ゼルムス (英: Eric Zelms) が、犯行現場から2ブロック離れたところで、白人男性がジャクソン・ストリートを東に歩道沿いを歩いているのを見かけた。男はジャクソン・ストリートの北側にある家々のうちの1軒の前庭へと通じる階段を上っていき、すぐに姿を消した。 ファウクはその角刈りの白人男性の年齢を35歳から45歳、身長を178センチメートル程度と見積もった。殺人犯を目撃した3人の少年たちによれば、犯人はファウクが言う男と似ていたようだが、年齢はわずかに若かったという。3人は、犯人は角刈りで、年齢は25歳から30歳、身長は173センチメートルから175センチメートルほどだったと説明した。しかし、2人の警察官は無線指令係から犯人は黒人であると伝えられていたため、車を停めることなく怪しい白人男性のそばを通り過ぎてしまった。警察官たちや少年たちの説明が食い違っている理由は説明がついていない。その後、捜索が行われたが、被疑者は1人として発見されなかった。この殺人がゾディアックによる犯行であると公式に確認されている最後の事件である。 スタイン殺害は当初、ありきたりな強盗が殺人沙汰に発展したものと考えられていた。しかし、10月13日、サンフランシスコ・クロニクル宛てにゾディアックからの新たな手紙が届けられた。手紙にはスタイン殺害は自身によるものであると記されており、スタインの血染めのシャツの切れ端が証拠として同封されていた。3人の少年たちの証言により、警察の似顔絵捜査官が犯人の似顔絵を作成した。刑事のビル・アームストロング (英: Bill Armstrong) とデーブ・トスキ(英語版) (英: Dave Toschi) がスタイン殺害の捜査を任命された。サンフランシスコ市警察は数年間にわたって推定2,500名の被疑者に対して捜査を展開した。
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