プエブロ族の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/23 03:09 UTC 版)
「ニューメキシコ州の歴史」の記事における「プエブロ族の時代」の解説
ニューメキシコ州での人間の居住は、野営地と石器の証拠が残されている狩猟採集社会のクローヴィス文化があった1万年以上前にまでさかのぼる。農業の発明の後、古代プエブロ人が、石またはアドベレンガ(日干ししたレンガ)で家を建てて居住していた。古代プエブロ人は紀元1000年頃に最盛を迎えた。その後の気候の変化は、大きな川沿いの地域への移住を導き、そこに最初に居住した現代のプエブロ族の文化が進化した。 有史以前のインディアンの遺跡は、現在のサンタフェにその存在を示している。アルバカーキ近くのサンディア山脈にある洞窟には、新世界での最も早い居住者の痕跡が見られる。プエブロ族は、1200年代に栄えた定住性の文化を構築し、リオ・グランデ川流域に居住し、小さな集落を建築した。 スペイン人は、16世紀にプエブロ文化に遭遇した。1527年のナルバエス遠征隊の4人の生存者のうちの一人であるカベサ・デ・バカが、その困難な探険の途中、ニューメキシコのどこかにある素敵な町についてインディアンから話を聞いたことを、1535年に記述した。それは当時ヌエバ・エスパーニャの植民者に広まっていたシボラの7都市伝説と重なり、それを検証するための遠征に任命されたマルコス・デ・ニサは、帰国後、シボラの存在を熱心に認めた。しかしこれは、フランシスコ・バスケス・デ・コロナドによる、1540年から1542年の間の大規模な探険によって、嘘であったことが明した。コロナドは1541年に、今日コロナド国有記念物に保存されている出土した集落の近くでキャンプをした。リオ・グランデ川流域の上流を探険している間の彼のプエブロ族への虐待は、スペイン人のニューメキシコの征服に対するその後の敵意へと通じることになった。 現在のニューメキシコ州の3大プエブロは、ズニ、サントドミンゴ、そしてラグーナである。
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