プエルトリコに到着した状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/13 20:26 UTC 版)
「フレイミング・ジューン」の記事における「プエルトリコに到着した状況」の解説
1963年、ルイス A. フェレ(Luis A. Ferré)は、- 著名なプエルトリコの産業経営者で政治家で、5年後にはプエルトリコの統治者にえらばれることになる - 自分が創設したポンセ美術館のために絵画と彫像を購入することにたずさわりながらヨーロッパを旅行中であったアムステルダムのギャラリーに滞在中に、彼とルネ・テーラー(René Taylor)は、かたすみで見捨てられた『フレイミング・ジューン』をみつけた。彼らは絵の美しさに印象づけられたようになり、そして所有者にそれについて訊ねた。 所有者は「だれもこの絵に関心をもっていないが、これはあまりに流行おくれであるとみなされているからだ」と言った。しかし彼は「もしフェレがこれに関心をもっているならば1000ドルでいい」とつけくわえた。フェレは、これは高いとかんがえたけれども、彼らは、フェレが絵の代金を電送するという協定をむすんだ。その男性は他の誰にもこれを売らないと約束した。 この産業経営者の息子であるアントニオ・ルイス・フェレ(Antonio Luis Ferré)は幾年ものちに「父はギャラリー所有者が約束を守らないのではないかと心配して眠らない夜をすごした」とのべた。フェレは午前に、彼に電話をかけ、金銭が電送されることを彼に保証し、そして約束を守るように彼にたのんだ - ほかの人々がすでにギャラリーに行き、そして絵を気に入っていたけれども、彼は約束をまもった。 かくして『フレイミング・ジューン』は、ポンス美術館まで旅をし、そして目立つように展示された。後年、これはヴィクトリア朝美術にたいする関心の復活とともに世界じゅうの重要な展覧会に貸し付けられた。『フレイミング・ジューン』は、2008年にマドリード、プラドで、そして2009年にドイツ、シュトゥットガルト州立美術館(Staatsgalerie Stuttgart)で展示された。
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