プエルトリコ人とドミニカ人のコミュニティ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 14:23 UTC 版)
「ウィリアムズバーグ (ブルックリン)」の記事における「プエルトリコ人とドミニカ人のコミュニティ」の解説
「ロス・スレス(Los Sures)」のスペイン語で知られるウィリアムバーグのサウスサイドには、プエルトリコ人とドミニカ人が多く存在する。プエルトリコ人は1940年代から1950年代にかけてこの地域にやって来て、ドミニカ人は1970年代と1980年代に入ってきた。多くのプエルトリコ人はブルックリン海軍工廠での仕事のため第二次世界大戦後にこの地域に集まってきた。この近隣住区はヒスパニックまたはラテン系人口が27%を占め続けており、グランド・ストリートとブロードウェイの間にあるグラハム・アベニューは「プエルトリコ街道(Avenue of Puerto Rico)」として知られている。ハブマイヤー・ストリートにはヒスパニックが経営する「ボデガ」や理髪店が並んでいる。 ラテン人コミュニティはウィリアムズバーグにいくつかの文化施設を持っている。ウィリアムズバーグで最後に残ったカリビアン・ソーシャルクラブというプエルトリコ人の社交クラブがこの近隣住区の文化を保存している。 もう一つの機関としては「エル・プエンテ(El Puente)」コミュニティセンターがあるほか、グラハム・アベニューに「サンヘルマン(San German)」レコード店もある。バンコ・ポプラール・デ・プエルトリコという銀行はグラハム・アベニューに支店を持っている。ムーア・ストリート110番地にあるムーア・ストリート・マーケット (Moore Street Retail Market) はしばしば「ラ・マルケタ・デ・ウィリアムズバーグ」と呼ばれる。 さらに文化的イベントも幾つかある。過去にサウスサイド・ユナイテッドHDFCはプエルトリコの伝統文化継承およびドミニカ独立記念日の祝典を開催し、現在はエル・ムセオ・デ・ロス・スレス(ロス・スレスの博物館)を運営している。ウィリアムズバーグにはボリクア大学のキャンパスが2つある。年に一度、ウィリアムズバーグ・ブッシュウィックのコミュニティはプエルトリコ・デイ・パレードを開催している。 多くの著名なラテン系人がこの住区から輩出された。プエルトリコ料理を専門とするテレビシェフのデイジー・マルティネスはここで育った。この近隣住区には米国下院議員ニディア・ベラスケスの事務所もある。ヒスパニック区画全体が『Living Los Sures』というドキュメンタリーで描かれ、これはジェントリフィケーション以前の1984年にサウスサイドに住んでいたラテン系住民の生活を記録したものである。2013年のもう一つのドキュメンタリー『Toñita's』はカリビアン社交クラブを描いたものである。
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