ブラックバーン復帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/25 10:20 UTC 版)
「デヴィッド・ダン」の記事における「ブラックバーン復帰」の解説
2部を戦う中で2006年10月に今度の移籍市場で古巣ブラックバーンへの復帰が噂されたが、これにはダン本人とブラックバーンのマーク・ヒューズ監督の両名が否定しており、1月12日にはボルトン・ワンダラーズFCとメディカルチェックを受けて移籍金100万ポンドで契約間近と報じられていた。しかし、1月17日に推定移籍金220万ポンドでブラックバーンと3年半契約を締結し、2月3日のシェフィールド・ユナイテッドFC戦で初出場を飾り、モアテン・ガムスト・ペデルセンの決勝点となるフリーキックを獲得した。途中加入ながらもリーグ戦11試合を含め公式戦18試合に出場して復帰1季目から定位置を確保すると、翌2007-08シーズンは負傷の不安もなく、リーグ戦31試合を含め公式戦38試合に出場し、アーセナル戦で25ヤードから同点弾にして復帰後初得点を挙げた。 2008-09シーズンにはポール・インス新監督から副主将に任命され、さらに2人目の子供が誕生する等、サッカーでも私生活でも充実した時を過ごしていたが、2008年9月19日に全治4ヶ月のアキレス腱断裂となってしまい、また、復帰後の12月29日にサム・アラダイス監督が就任して以降であまり先発起用されなかったことで公式戦17試合の出場にとどまり、退団の噂まで浮上した。最終的に残留することとなった翌2009-10シーズンは、最初の2試合に起用されずに厳しいスタートを切ったが、リーグカップのジリンガムFC戦で先制点を挙げてチームの3回戦進出に貢献すると、リーグ戦ではウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFC戦を皮切りにアストン・ヴィラ、アーセナル、ボルトン戦で得点を重ねていき、特に同じランカシャー州東部を拠点とするライバルのバーンリーFCとのイーストランカシャー・ダービーでは記憶に残る得点を挙げた。それらの活躍から2010年1月26日に契約を2012年7月までの2年半延長させることに成功すると、3月21日のイーウッド・パークでのチェルシーFC戦でブラックバーンでの通算出場数206試合目を達成し、3月24日のバーミンガム戦で試合開始5分に先制点、67分にエル=ハッジ・ディウフのコーナーキックから頭で決勝点の2得点を記録。3月28日のターフ・ムーアでのライバルのバーンリー戦でPKによる決勝点を挙げ、5月3日のアーセナル戦でブラックバーンでの通算50得点目を達成した。2009-10シーズンにリーグ戦9得点を挙げる成功を収めて以降、2010-11シーズン、2011-12シーズンとシーズンを通して中心選手であり続け、2011年2月2日のトッテナム・ホットスパーFC戦(0-1)でブラックバーン復帰以後のプレミアリーグ出場通算100試合目を達成し、2012年1月27日に契約を2013年まで延長した。しかし、その一方でチームは低迷に苦しみ、2011-12シーズンに降格となった。 2部に降格した2012-13シーズンは、それまでと一変して度々先発落ちし、10月25日のシェフィールド・ウェンズデイFC戦中に負傷する等で調子を落としていたことから、同シーズンで満了となる契約が延長されることはないだろうと囁かれていたが、そのような状況下で3月17日のバーンリーとのダービーでロスタイムに同点弾を挙げて噂を一蹴する活躍を見せ、6月24日に1年の契約延長を勝ち取った。翌2013-14シーズンは、公式戦全4試合に先発して1得点を記録する好調さを見せていたが、9月11日に膝の手術を受けることが発表され、離脱となった。
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