フリー - 全日本プロレス - WRESTLE-1 - WRESTLE-1を退団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 09:41 UTC 版)
「田中稔 (プロレスラー)」の記事における「フリー - 全日本プロレス - WRESTLE-1 - WRESTLE-1を退団」の解説
2009年2月6日、全日本プロレスの後楽園ホール大会に突如乱入し、田中のバトラーツ時代の後輩である土方隆司を助けるかと思いきや、TARUと結束し突如VOODOO-MURDERS入りした。 2月14日、ZERO1の大阪大会に参戦、藤田ミノルとタッグを結成した。ZERO1にはこれまでどおりの正統派レスラーとして参戦していく模様。 2月22日には、DDTプロレスリングに「ミノール・ポルナレフ」として参戦してデスケーキ(毒入りケーキ)を食らわされ、失神するというコミカルなファイトを披露した。 2011年6月、TARUの暴行事件により主戦場である全日本プロレスの無期限停止の処分が下ったが6月30日、田中は事件には関わっていないとして出場停止処分を解除した。その後、全日本プロレスに正式入団。 2011年10月26日、リングネームを本名の「田中稔」に戻した。 2012年8月31日よりみちのくプロレスのふく面ワールドリーグ戦に「ヒート」として復活し参戦。 2013年6月30日の両国国技館大会を最後に全日本プロレスを退団した。武藤敬司らとともにWRESTLE-1に参加。 2013年9月25日、プロレスリングHEAT UPに参戦、田中のかつての愛弟子である田村和宏とタッグながら対戦。 2014年1月31日、デビュー20周年記念試合でタッグパートナー金本浩二、田中の師匠の藤原喜明、獣神サンダー・ライガーと組みデスペラード軍と対戦し、勝利する。 2016年6月30日、契約満了につきWRESTLE-1を退団。 2017年より古巣である全日本プロレス、その他にもZERO1などに参戦。 9月23日、田中はプロレスリング・ノア後楽園大会に突如姿を見せ、「GHCジュニアのベルト頂きに参りました」とGHCジュニア取りを高らかに宣言した。それに対し熊野準が10月1日の横浜文化体育館大会で迎え撃つ事となった。 10月1日、横浜文化体育館大会で熊野に勝利、その後もレギュラー参戦しているドラディションのLEONA、XXのHi69らを立て続けに倒し、現GHCジュニアヘビー級王者である原田大輔に12.22後楽園でGHCジュニアへの挑戦が決まった。 12月22日、原田の持つGHCジュニアヘビー級王座に挑戦するが、必殺の片山ジャーマンスープレックスホールドに沈んだ。 2018年1月28日、大阪大会でGHCジュニアタッグ王座新王者組となった石森太二・Hi69組の前に現れ挑戦を表明。この時は単身での挑戦表明だったが、そこへ小川良成が登場し小川とのタッグで3月11日・横浜文化体育館大会でのタイトル挑戦が正式に決定した。 2019年3月10日、横浜文化体育館大会で原田からFIRE BALLスプラッシュでピンフォール勝ちを奪いGHCジュニアヘビー級王座初戴冠。ジュニアタイトルのメジャー完全制覇を果たした。
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