フィリアの種類
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/19 16:50 UTC 版)
アリストテレスによると、フィリア (友情) は実用の友情、快楽の友情、善の友情に分類される。形成の動機に基づいた以下の3つのタイプである。 実用の友情 「互恵的利他主義」も参照 実用の友情は、全く他者への敬意なしで形成された関係性である。商品を購入する、例えばであるが、その行為は他の誰かと会う必要があるかもしれないが、常々それは買い手と売り手のとても浅い関係性だけである。近代国家では、このような関係性にある人々は友人と呼ばれるわけがなく、顔見知りと呼ばれるのである (たとえその後お互い考えることがあっても) 。こうした人々が人間関係を構築する唯一の理由は、物の売りと買いをする為である。その関係性は悪いことではないが、新たな動機がない限り、動機が失われると直ちに両者の関係性は失われる。苦情や抗議は大概このタイプの友情しか生み出さない。 快楽の友情 「集団」および「集団行動」も参照 次の段階である快楽の友情は、人々の集団の中での純然たる喜びに基づく。一緒に酒を飲むか趣味を共有する人々は、このような友情である。しかし、これらの友人たちもまた関係性を失うかもしれない。その場合では、もし彼らがもはや行為の共有を楽しまないか、もはや一緒に参加できないならば。 善の友情 「相互作用」も参照 善の友情は、相互の性格を相互に楽しむものである。友人相互が似通った性格を保持する限り、背景となった動機が友人に向けられて以来のその関係性は継続しうる。最高水準のフィリアであり、近代国家において真の友情と呼ばれるものに近い。 「ここで、悪い人々もまた [同様に] 相互の快楽と実用の為に友人となることが可能である。それは、まともな人々が、人々との関係に基づき友人になったり、ある性格の誰かが、ある性格の相手と友人になったりできることと同様である。しかし、良い人々だけが、自分自身が他者であるがゆえに、相互に友人になれるのは明らかである。悪い人々は、そこに利益がない限り、他者に興味を示さない。」 (1157a18–21) フィリアの枠組みの全てがアリストテレスのノートに結集しているのではない。これらいくつかの例は父から息子への愛か、年長者から年少者への愛か、君主から臣下への愛でありうる。しかし概してそのフィリアの枠組みには対称性がある。 もしフィリアが愛の一種ならばと、トーマス・ジェイ・オード (en:Thomas Jay Oord) は、それは矛盾する愛ではないものとして定義されなければならないと論じた。フィリアは、幸福を促進するための意識的な反応であるとして、オードはフィリアを定義している。オードのフィリアにおいては、他者への協力関係や手助けに留まらず、人々は真の友情の中で人生を送ることができる。
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