フィールド:ピアノ協奏曲 第7番 ハ短調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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フィールド:ピアノ協奏曲 第7番 ハ短調 | Piano concerto No.7 H.58 | 作曲年: 1822(第1楽章のみ), 1832(全曲)年 出版年: 1834年 初版出版地/出版社: Leipzig |
クラーマー:ピアノ協奏曲 第7番 ホ長調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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クラーマー:ピアノ協奏曲 第7番 ホ長調 | Konzert für Klavier und Orchester Nr.7, E-dur Op.56 | 出版年: c1815年 初版出版地/出版社: Breitkopf |
エルツ(ヘルツ):ピアノ協奏曲 第7番 ロ短調
3台のピアノのための協奏曲 (モーツァルト)
(ピアノ協奏曲第7番 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/25 04:52 UTC 版)
3台のピアノのための協奏曲 ヘ長調 K. 242 は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが1776年に作曲した3台のピアノを独奏楽器とした協奏曲で、通し番号を付けて『ピアノ協奏曲第7番』とも呼ばれる。また、一般に『ロドロン』(または『ロードゥローン』、Lodron)の愛称で親しまれている。
概要
1776年2月にザルツブルクで作曲され、同地の名門貴族ロドロン家(Lodron)の伯爵夫人アントニーナとその令嬢アロイジアとジュゼッパのために作曲されたものである。独奏ピアノのパートは、彼女らの演奏能力に合わせて書かれており、第1、第2ピアノパートはアントニーナ、またはアロイジアが演奏するものと想定され、2つのピアノパートはそれなりの技巧を必要とするが、ジュゼッパのために書かれた第3ピアノパートは簡素で比較的易しく書かれている。最初の版の献辞には、「貴婦人であるロドロン伯爵夫人、旧姓ダルコ伯爵夫人とその令嬢たち、アロイジアとジュゼッパに。彼女たちの最も献身的な召使いヴォルフガング・モーツァルト。」と記述されている。
また、モーツァルトは1777年に、母アンナ・マリアとともに、自身の就職活動のためにパリへと向かった道中に立ち寄ったアウクスブルクで、ヨハン・アンドレアス・シュタイン製作のフォルテピアノと出会っており、同年10月22日にフッガー伯爵家の広間で催された演奏会で、この時完成したばかりのシュタイン製のフォルテピアノを用いて本作を演奏している(この演奏会では、第1ピアノをオルガニストのヨハン・ミヒャエル・デムラー(Johann Michael Demmler)が、第2ピアノをモーツァルト自身が、第3ピアノをシュタインが弾いた)。
なお、モーツァルトはこの作品を2台ピアノと管弦楽のために編曲しており、こちらの成立時期は1779年頃と推測されている。近年はむしろこの2台ピアノと管弦楽のための版で演奏されることが多くなっている。
楽器編成
曲の構成
全3楽章、演奏時間は約22分。
外部リンク
- 3台のピアノのための協奏曲(ピアノ協奏曲第7番)ヘ長調 K. 242『ロドロン』の楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト
- K.242 ピアノ協奏曲 第7番 ヘ長調 「ロドロン」 - Mozart con grazia
「ピアノ協奏曲 第7番」の例文・使い方・用例・文例
- ピアノ協奏曲
- その曲はピアノ協奏曲に編集された。
- 6月21日の本選で,上原さんはチャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」とラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」を演奏した。
- そのとき,彼女は偶然,ラヴェルのピアノ協奏曲を聞き,自分と千秋(玉(たま)木(き)宏(ひろし))が舞台でその曲を一緒に演奏している姿を想像する。
- 千秋は彼女がショパンのピアノ協奏曲を演奏するのを見るためにはるばるプラハまで行く。
- 内田さんはクリーブランド管弦楽団と共演したモーツァルトのピアノ協奏曲の演奏で最優秀器楽ソリスト演奏(オーケストラとの共演)賞を受賞した。
- 浅田選手は,ショートプログラムではショパンのノクターンのうちの1曲,フリーではラフマニノフのピアノ協奏曲第2番に合わせて演技すると述べた。
- フリーについて,浅田選手は「私はラフマニノフのピアノ協奏曲がとても好きです。」と述べた。
- 翌日のフリーでは浅田選手はラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」に合わせて滑った。
- 西洋音楽において,ロという,ハ長調音階の第7番目の音
- 音階でシという第7番目の音
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