ヒート競走の興亡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 09:43 UTC 版)
18世紀の初め頃のイギリスでは、6歳以上の馬による4マイルから6マイルの競走が主流だった。その過半数はマッチレースで、ヒート競走は増加していった。長距離によるヒート競走は、実力の劣る競走馬が偶然一度ぐらい番狂わせで勝ってしまっても、最終的には真の実力馬が優勝する競走形態だった。しかし、18世紀の後半になると、イギリスではこうした競走形態は「残酷」であると同時に「退屈」なものと考えられるようになっていった。 ふつう、ヒート競走では優勝馬を決めるためには最少でも2回のヒートが必要であり、4マイル(約6437メートル)のヒート競走に出走する競走馬は少なくとも8マイル(約13キロメートル)を走らなければならない。18世紀の半ばになると、古典的な4マイルのヒート競走では、競走馬は前半はゆっくり走り、後半の2マイルだけ全力疾走するようになっていった。19世紀が近づく頃には、途中で「歩く」馬がしばしば見られたという。 競走馬が長距離のヒート競走に耐えうるには、完成された頑健な馬体と豊富なスタミナが要求され、生まれてから十分に時間をかけて成長させる必要があり、しばしば5歳や6歳、あるいはそれ以上に育つまで待つ必要があった。しかし生産者や馬主は、もっと若いうちから競馬に使う方が経営上の効率がよいと考えるようになり、また競馬の主催者は興業上の観点で、1回の競走が早く終わる方が経営効率がよい。こうして、より若馬による、より短い競走が好まれるようになっていった。 1780年に始まったダービーは、3歳の若馬による、わずか1マイル半(約2414メートル)の、1回勝負(ダッシュ戦)の競走だった。ヒートレース自体が現在ほとんどみられないので、現在は用いられることはまず無いが、ヒートレースに対する概念として、「1回限り」で勝負を決する競走を「ダッシュレース(Dash Race)」という。19世紀頃の競走の名には「○○ダッシュ」というようなレース名が散見されるが、これは「ヒートレースではなく1回で勝負を決めるレース」を表している。 イギリスでは、まず長距離の4マイルのヒート競走が廃れていった。19世紀初頭になると、イギリスでは4マイル戦も、ヒート競走もほとんど姿を消した。 アメリカでは引き続き長距離のヒート競走が盛んで、19世紀半ばのイギリスでは、アメリカ馬のほうが「驚くほど」頑健で持久力があるとされていた。アメリカにおける「最強馬決定戦」としての4マイルのヒート競走が最後に行われたのは、1878年7月のことだった。 しかし、1回限りでしかも距離が2マイルという短距離(当時はこの距離でも短い)競走ならば、4歳馬でもそのスピードで対応できると考え、やがてまだ完成された馬体でない3歳馬でもこなせる距離と考えられるようになった。ここからスタミナよりもスピードを持っている若駒で距離を1マイル半や1マイルにして競走が成立し、その完成度を能力検定するクラシック競走が生まれる時代に入るのである。
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