ヒスイの地表近くまでの上昇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 01:58 UTC 版)
「糸魚川のヒスイ」の記事における「ヒスイの地表近くまでの上昇」の解説
プレート沈み込み帯の蛇紋岩が生成されるような場所では通常、ヒスイも生成されると考えられている。そうなると地球上でヒスイが生成される場所は決して少なくはない。しかし実際にはヒスイの分布は限られている。これは沈み込み帯の約30キロメートル以上の深さで生成されたヒスイが、地上にまでもたらされることが稀な現象であるからだと見られている。 つまり約5億2000万年前に生成された糸魚川のヒスイは、何らかの理由で地表までもたらされるという比較的稀な現象が起きたことになる。2億年間近く、糸魚川のヒスイが生成された海洋プレートの沈み込みは大きな変化なく持続していたと考えられている。そして沈み込みが持続していた約2億年近くの間、沈み込む海洋プレートが大陸側のプレートを削り取る構造浸食作用も継続していた。その結果としてプレートの沈み込み帯で成長する、一般的に約100~200キロメートルの幅で形成される地質帯の多くが削り取られるという結果を招いた。 構造浸食作用の結果、沈み込む海洋プレートと大陸プレートの間に水が浸透しやすくなる。そのためマントルのかんらん岩の蛇紋岩化も持続していく。また蛇紋岩はプレートやマントルよりも密度が低いため、浮力を生じて沈み込み帯で生成されたヒスイなどの周囲の岩石を巻き込み、様々な岩石を取り込んだ蛇紋岩メランジュを形成しながら上昇していく。蛇紋岩メランジュはしばしば海溝の斜面付近まで上昇することが知られている。 ヒスイなどを取り込んだ蛇紋岩メランジュが上昇していく中で、原日本列島に新たな大きな地殻変動が発生した。約3億5000万年前の石炭紀以降、現在のアジア地域を形成する複数の地塊が、南半球や低緯度から北へ向けて一斉に大移動を始めた。この大移動の原動力はマントルに発生した大規模な下降流であり、地塊はその流れに巻き込まれるように移動したと考えられている。この現象は石炭紀に続くペルム紀、三畳紀も継続し、地塊が移動していく中で約2億4000万年前から2億3000万年前の三畳紀中期に、原日本の大部分を占める南中国地塊と、飛騨帯など北中国地塊の衝突が発生した。 ヒスイを取り込んだ蛇紋岩メランジュは、その南中国地塊と北中国地塊との衝突によって、地下から押し出だされるようにして地上近くへと上昇してきた。糸魚川地域のヒスイを含んだ蛇紋岩メランジュは、三畳紀中頃以降も約2億年前から1億年前の間、そして約1億年前にも上昇していることが確認されている。つまりヒスイの地表近くまでの上昇は計3回発生したと考えられている。これは飛騨帯や大陸側のプレートがヒスイを含んだ蛇紋岩メランジュを地表近くまで押し出す作用が断続的に働いた結果であると見られている。 また糸魚川地域は、飛騨帯や大陸側のプレートが押す力を正面から受ける位置にある。やはり5億2000万年前以降にヒスイが生成された岡山県大佐山周辺は側面から受ける形となる。そのため、糸魚川地域はより強い力で地下から多くのヒスイを含んだ蛇紋岩メランジュが絞り出されることになり。他の地域よりも多くのヒスイが地表近くまでもたらされることになった。
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